さつまいもが昔から好きで、特に熊本県の天草地方の名産「こっぱもち」は非常にうまい。
これはさつまいもをうまい事もちっぽくしたもので、上手に焼かないと「レンジの受け皿をこっぱもちでコーティングしたの?」という感じになるが、まあともかくうまい。
近所の八百屋で売られている焼き芋が「あまいよっ」とか流れている割には恐ろしく甘くなく、何となくだまされた気になる。
さつまいもで嫌な思い出といったらこのことくらいしかない。
僕の祖母はこっぱもちと同じところ出身なのだが、さつまいものことを「アメリカいも」と言うときがあったことを思い出した。
確か、さつまいも全般の事を指す言葉なのではなく、いもの中身が鮮やかなオレンジ色のもののことをそう言っていた。
「アメリカいも」は普通のよりも甘く、彼女が幼いころなどは珍重されたのだろう。
「アメリカいも」と口にするたび、よだれがほとばしっていた。
ごめん、ほとばしるのはうそだが、「アメリカいも」という芋カテゴリが彼女にあったのは事実。
そして、僕もそのオレンジ色のものや、もっと大変な濃い紫みたいなさつまいもを見た事がある。
これらはおそらく細胞内の色素がそうさせているのだろうが、それはさておき「土に埋まっている部分なのに、何をそんなに色づく事があるのか」という疑問が生じる。
甘い大根という、ただ想像すると恐ろしいしか頭に浮かばないビートと呼ばれる野菜も、結構紫だった気がする。
うどやホワイトアスパラは色素があまりなくて白かったような。
他の、地中にある植物も色素がなかったものが多い気がする。
なぜ鮮やかなんだ。
人に、土から引っこ抜いたときの感動を与えるためなのか。
あるいはまな板で切ったときの感動を与えるためなのか。
たまたま鮮やかな色素ができちゃって、それの置き場がないだけなのか。
どうであれ、人に感動を与えようとしてくれている方がいいっちゃあいい。
そっちにしよう。
となると次の疑問はなぜ「アメリカいも」という名前なのかということだが、こちらはアメリカに任せよう。