インコやオウムなどを見かけると、うちで飼っていたインコを思い出す。
「インコちゃん」と名付けられた彼女は少々畸形で、それが原因かは分からないが売れ残っていた。
かわいそうということでもないが、我が家は以前も小鳥を飼っており、まあカゴもあるしと購入。
足が変形しているため止まり木に移るのが大変そうなのだが、それ以外はちゃんとセキセイインコなのだった。
さて、セキセイインコというものはコロコロとかわいい声で鳴くが、一方で人の言葉のものまねもよくする。
「インコに何を喋らすか」
ある人種ではそれだけで一日のうち二食をまかなえることで知られる、コストパフォーマンスあふれる議題である。
我々はよく、インコちゃんに向かって「おはよう」だの「こんにちは」だのを、口の動きが見えるように話しかけた。
どこかで聞いた話によると、インコというのは最初相手がどのような音を発するのかを覚えるため、じっとそれを聞く、のだとか。
自然下では集団で生活する彼女らとしては、さえずる事、相手のことを覚えるのは必須のコミュニケーション能力である、のだとか。
口の動きも見られるのなら、より覚えるのも速いのではないか。
そんな我々を、インコちゃんはさえずらずにじっとこちらを見ていた。
しかしインコちゃんは一向に言葉を喋らなかった。
ただ、じっとこちらのことを見ている。
しばらくはただ覚えるのに時間がかかっているのだとばかり思っていたが、あるときふと思った。
「おまえら、うるさい」と思っているのではないだろうか、と。
そんなはずはない。
あんなカラフルでごまのような目をした生き物がそんなことを考えるか。
しかし一方で、何も喋らない事により、飼い主に自分の意志「おまえら、うるさい」を伝えようとしていたとするなら、それはインコちゃんの恐るべき才能である。
「無い事で、何かを表す」
「雄弁は銀、沈黙は金」というのがあるが、インコではより効果的なのだ。
次回、他の理由を考えてみる。