あいつ、生身なのに走っているいのししの前に割り込んだよ。
ドMだなー。
というメモがあったのだが、人はどれほどから「生身」を主張してよいのだろうかと考え込んでしまった。
全裸
確かに、目をみはる生身である。
しかし、例えば熊に対して、この状態で立ちはだかったらどうだろうか。
スーツ
結構生身なのではないだろうか。
そう考えると、生身は比較対象があって初めて「ああそれは生身だね」と納得できるものらしい。
相手が何らかの戦闘ロボなら、ヘルメットをしていても「あ、あの人、生身でロボに体当たりした」みたいに言えるし、ユニクロンが相手なら、ガンダムに乗っていても生身である。
この肥大性はそのままそっくり逆方向へ行けそうである。
一見、全裸が最終形な気もするが、例えばこれはどうだろう。
全裸(全剃毛)
全剃毛という言葉があるかどうかわからないが、単なる全裸よりも、より生身な気がしないだろうか。
そして生身への意気込みも感じさせる。
こうなると、次はどうだろう。
全裸(全身傷だらけ)
これはテイモウよりもさらに生身な感じだ。
とにかく、生が出ちゃっているポイントが高い。
しかし、もうお気づきの方もいるだろうが、この逆方向への肥大性は無限ではない。
なにせ、続けて行った結果は「がいこつ」になりそうだからだ。
がいこつ。
全然生身じゃない。
あたたかくない。