「立ってるやつなら親でも使え」というのは、こう見てみるとそれだけで結構いじりやすいが、僕が主にこれを聞いたのはコタツにまつわるエトセトラ。
たいがいはみかんの運搬係を決めるための言葉だったように思う。
などと言っているが、実は我が家にコタツはないので、一体どこで聞いたのだろうか。
ともかく、それは「ついでにやってもらえ」という意味を少なからず含んだ言葉である事は間違いなさそうである。
さきほど、この「ついで」というものの意味が気になってきた。
例えば「立ってるやつなら親でも使え」。
これに「ついで」の意味を見出しているとすれば、それは「立ってる親に何をしてもらえるのか」という事が重要で、そこが気になったのだ。
まずはみかん運搬係。
これは問題ないだろう。
そもそも運搬系は大丈夫だ。
やってもらえるか、親に対する敬意については疑問が残るが、少なくとも「ついでついで」している。
「ついでにパン焼いてきて」
これはちょっと難しい。
先ほどの疑問もさることながら、「立ってること」と「パンを焼くこと」はちょっと違うのではないか。
そう、少なくとも親は思う。
「ついでに特産キノコがある場所教えて」
モンハンである。
これも「立ってること」と「特産キノコがある場所」はちょっと違う。
ここ、キノコないし。
そんな風に思う。
「ついでにゴッホが自殺にいたった経緯を30字くらいでまとめてきて」
もう全然「立ってること」と関係ない。
むしろむずくなっている。
「ついでにコタツの温度下げて」
親怒る。
このように、「ついで」にしてもらうためには本来の動作とそうかけ離れる事なく。
しかもその動作と同等あるいは簡単でなければならない。
上記の例は、すこし「立ってること」と離れている。
人間の成長過程で、「何かにつかまりながら二足歩行ができるようになる」の次が「コタツの温度を下げる」であれば、上記の「ついでにコタツの温度下げて」は問題なかった。
親は怒らない。
何たって二足歩行の次にやってきたことだから。
しかしそうではなかった。
二足歩行の次はおばあちゃんをより喜ばせる、とかだった。
故にこれらは「ついで」にはなりえなかったのである。
上記のようなことをやってもらうなら、本来の動作のレベルをあげてもらう必要がある。
「ねえ、満漢全席のついでにパン焼いてきて」
やはり親怒る。
「パンが入る余地はねえ!!」