昔のことを思い出してそのことを伝える場合、「それがいつ頃か」を伝える必要が、基本的にはある。
それがないと伝えたことは全て「現在のこと」「進行中のこと」と認識されてしまい、ちょっと密度濃すぎる今となってしまう。
過去形を用いることで操作はできるが、「それがいつ頃か」を付加しない理由はないのである。
しかし難しいもので、この「それがいつ頃か」は、詳細に言ってはいけないことになっている。
日記などの証拠から、細かい時間がわかっていたとしても、である。
「去年の2月14日、13時頃。俺、ひったくり犯を捕まえたんだ」
人に話すにはなかなかのイベント。
しかし、いけない点もある。
もちろん、一番いけないのは詳細な時刻が出ている点。
これでは相手に「そんな昔のことの時間を覚えているって、細かい」と負のイメージを持たれてしまう。
「お前は今後、ずっとそのことをいろんな人に自慢していくんだね」
他にも、「日付がひったくりの切実さを表していて、悲しい」「ひったくったもの、チョコじゃないだろうな」などがあるが、とにかく細かい時間はいけない。
そのいけなさを体得しているのか。
人は「必要でもない限り、曖昧にそれがいつ頃かを話す能力」を得ている。
まず思い出すのが「手紙の冒頭のあいさつ」だろうか。
「このごろは葉もすっかり色づいてしまい、遠くに見える山も化粧をしたような鮮やかさになりました」
「もう冬ですね。お元気でしょうか。nimbus7942です」
こうくるわけである。
「このごろは葉もすっかり色づいてしまい、遠くに見える山も巨人の返り血を浴びたような鮮やかさになりました」
「鮮血ですね。お元気でしょうか。nimbus7942です」
「このごろはやっとパンもおいしくなり、トースターの強で焦げ目を多めにするも、弱でふっくらさせるのもよしのシーズンとなりました」
「ダブルソフトですね。お元気でしょうか。nimbus7942です」
「このごろは空気も澄み、遠くのモスキート音まで聞こえるようになりました」
「若作りですね。お元気でしょうか。nimbus7942です」
あー完全に話逸れたわ。
次回、いろんな「頃」を考えてみる。