マラソンか駅伝かの選手がインタビューに答えているところを見た。
後半のスパートで見事巻き返した彼によると、「負けられないという気持ち」が芽生えたのだそうだ。
これを聞いたとき、僕は何かのエッセイに書いてあったことを思い出した。
「長距離選手は競技後半、過酷な条件のときには脳内麻薬が出ているから、むしろ陶酔したような状態なのだ」という旨の内容。
もし、本当にそうなのだとしたら。
そしてそれだけなのだとしたら、冒頭の彼は「相手よりももっと気持ちよくなろうという気持ち」によって勝利を手にすることができたのだと言える。
もちろん、これではランナーに対して失礼な気がする。
たとえランナー間では「ラストの気持ちよさがはんぱない」というのが通説になっていて、むしろ視聴者その他が勝手な純朴さをランナーに抱いていたとしても、だ。
そして僕には長距離の思い出がある。
確か10kmだったか。
僕にとっては対馬から望む釜山くらいに遠く長い距離だったが、そこにあったのは陶酔や気分の高揚ではなく「つらっ」だった。
そして「つらっ」以降、特に何も覚えていない。
つらかったしかないのだ。
いや、それとも陶酔の果ては「何もない」なのだろうか。
そうなると冒頭のランナーはこうインタビューに答えざるを得ない。
「負けられないという気持ちがありましたが、最終的には何もありませんでした」
「無でした」
ランナーの尊ばれる理由が、またひとつ。