子供のころに阿蘇へ遊びにきたときの思い出というのは、今でも濃厚だ。
近くの高原に生えている木を蹴ればクワガタが落ちてくるし、そもそもおじさんの家から一歩出ると田んぼがあり、カエルが一斉に跳ねる。
近くの小川をさかのぼると水深1mくらいになったりして、僕はオオサンショウウオがいるんじゃないかとビビった。
おじさんの車をつけているにも関わらず、道に迷うというウルトラCをかましてしまったが、懐かしいおじさん家に着いた。
おばさんが出迎えてくれた。
家の裏の水路には、カエルがやっぱりいた。
と、円滑におじさんに会った感じだが、あと30分もいられない。
新幹線に間に合わなくなる。
よって田んぼをあさることはできないし、まあ木を蹴ることはできるがそこらにある木を蹴っても気が触れたようにしか見られない。
ざんねんだ。
30分間の再会はほとんど、「唐突過ぎるわこんにゃろ」といった感じで、僕も唐突に行った甲斐があったというものだ。
今度はちゃんと連絡をするようにという、ホウレンソウにおけるレンの部分を約束し、駅へ向かうとする。
途中の分かりやすい道まで、おじさんが案内してくれた。
それにしても、おじさんの顔をいまいち思い出せなかったというのは申し訳ない。
運転しながら思っていたが、そう言えばさっきおじさんが変なことを言っていたな。
「nimbusは暗い大人になると思っていた」
そ、そんなふうに思ってたんだ。
するとおばさん「そうそう」と相づち。
結果的には「思ったよりも明るそうで、よかったよかった」なのだが、なんだこの心に響くものは。
さらに何か言っていたな。
「nimbusはとにかくハンミョウという虫がミチオシエという別名を持っているということを教えてくれた子供だ」
なんだこの「ラッシーは生きることのすばらしさを教えてくれた犬だ」みたいな感じのは。
顔が思い出せない子供と、ハンミョウのくだりしか思い出せない大人。
いいんじゃないでしょうか。