ちょっとそこまで。21

天草は僕が小学生のとき、夏休みに訪れたところだった。
1ヶ月くらい滞在しただろうか。
南天の集落のある一軒で、せっかくの田舎だというのに僕はファミコンを持参、勝手に接続してゲームばかりしていた。
そして昼には突然小道に現れる野犬、夜には天井から落ちてくるムカデに、おびえてばかりだった。
1ヶ月の田舎ぐらしの割には「ばかり」が多く、要はイベントが少なかったわけだ。
それが田舎なのかもしれないが。
しかし、そんなゲーマーな僕でも海の魅力には勝てなかったとみえる。
散歩をしていると、宿泊先から海岸までの道のり、その場所すみずみにいたるまで、けっこう思い出すことができた。
まず、海岸までの道のりには、海に出る少し手前にお地蔵さんがまつられている。
小学生の時は、このお地蔵さんの足下に、東京では見たことのないような形状のゴキブリの死骸がたくさんあった。
今思うと邪教の催し物だったのではないかとも考えることができる。
しかしその頃はそういうものだと思っていた。
お地蔵さんに供えられた物を食べると、見たこともないような形状のゴキブリの死骸になる。
うそである。
僕はそんなに、夢見がちな子供ではなかった。
ゴキブリのこともサツマゴキブリというやつであることは知っていたし、お地蔵さんの供物をどうこうしてもバチはあたらないだろうと考えていた。
そしてそもそも、それほどお地蔵さんについて、注目していなかった。
僕が感じたのは、サツマゴキブリの死骸って、黒い小判みたいなんだ、ということだった。
海へ出ようとしたとき、このお地蔵さんを見つけた。
さっき車で通ったときもあることを確認していたが、その足下は見えていない。
まだあるだろうか。
子供の頃に見た、黒い小判が。
お地蔵さんは、意外と言っては失礼かもしれないが、こぎれいにされていた。
そしてもちろん、黒い小判はなかった。
「以前はああだったけど、今はどうか」
その確認は、この旅行の目的のひとつだ。
この確認のおかげで、僕はひとつ、自信を持ってあることを言うことができるようになった。
「南天のお地蔵さんには黒い小判があったんだけど、ないときもあるんだ。今はわからないけど」

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