料理を大量にもてなすことが最良とされた時代があった。
もちろんいいことなのだが、無理にそれをすすめることは一種の暴力あるいはヘンゼルとグレーテル的な、またはフォアグラのような、畜産のような。
そんな一面も、あることはある。
だから程度を考えるべきなのだ。
しかし、本来程度を考えることが最優先であるはずなのに、別の理由を持ち出すことでそれを考慮しない方法が、なぜかおばはんによく見られるのが、人間の不思議なところだ。
男の子なんだから、たくさん食べなさい。
若いんだから、たくさん食べなさい。
育ち盛りなんだから、たくさん食べなさい。
こう来る訳である。
先日書いたように、夕食はすてきでおいしいものばかりだった。
おいしいものが周りにあり、しかもそもそもそれ自体がおいしく感じられるくらいだったから、サザエ、アワビもどうにか食道フリーフォールにかけることができた。
ところが、とにかく大量に料理が出てくるのである。
やはり海が近いからだろうか。
刺身が多い。
板前さんが腕によりをかけたんだそうである。
確かにうまい気がする。
「腕により」の「より」が一体なんなのかは分からないが、とにかく彼の好意を無下にする訳にもいかない。
この日ほど夕食を大量に食べたことは、今までないのではないだろうか。
あーとかゔーとか言いながら、食後座椅子で動けなくなってしまった。
確かに僕は男であるから、さきほどの「形を変えた料理大量もてなし法」のひとつ、「男の子なんだから、たくさん食べなさい」は該当してしまう。
しかし若いだの、育ち盛りだのは、結構前にお上へ返上している。
あんなに大量に食事をくれる理由はないはずなのだ。
ただ、僕はちっこいので、宿側の方針「育ち盛りへの支給方法」には引っかかったのかもしれない。
あるいは「こいつ体小さいな。どんくらい食べるか試してみない?」という実験が水面下で、主に賭け事を主として行われていたかもしれない。
小さくったっていいじゃないか。
ガンダムF91だって、小さくなってん!!。
ともかく食事から1時間、僕は「お腹が一杯なので、あーとかゔーとか言う」というひどく平凡な人間になってしまっていた。
東京でもやっているようなテレビも、だらだら見てしまった。