包丁を使わずにイワシを三枚におろす方法。

嘘をついたら、えんま大王に舌を抜かれるというものに、何歳まで恐怖を覚えていただろうか。
そしてそれが薄れるとき、気になりだすのが「嘘をつかない人間はいないだろう」ということだ。
生まれる前、あるいは生まれてまもなく亡くなってしまった場合以外。
幼くして欲しいものを手に入れるための嘘泣きや行きたくないための嘘寝、嘘体調不良。
どれも正直な所、罪悪感を受けずにやってしまっているだろう。
この辺を無垢でクリアしたとしても、まずくてもおいしそうに食べる仕草やお世辞。
えんま大王に「おまえまずいのをおいしそうに食べたそうじゃないか」とにらまれたら、私たちの認識では「そんなあ」となるが、まあ嘘なので舌抜き対象になる。
とまあ、とにかく人は程度善悪あれ、嘘をついているものなのである。
そうすると心配なのが「舌を抜くためのやっとこがぼろっぼろ」というところだ。
亡くなった人が来る度に抜くものだから、だ液によってやっとこが腐食。
すぐに使えなくなってしまうだろう。
こうなると、地獄省(憶測)ではこういう対応をとらざるを得ないことは明白だ。
「えんま大王が「いままで嘘をついたことがあるか」と質問し、そこで嘘を言わなければ舌抜きなしとする。」
そこで嘘を言わなければというのは、結果的には「私は嘘をつきました」というのが正解なわけである。
しかしどうだろう。
えんま大王に「いままで嘘をついたことがあるか」と言われたら、もう人間観念してしまうのではないだろうか。
「すいませんついていました」と。
するとこの対応は観念した人たちの吐露により、たいがいクリアされてしまうのである。
やっとこは錆びずに済んだ。
しかし舌抜きは全く行われず、鬼たちの間で受け継がれていたその技術のほうが、錆びていくだろう。
あるいは舌抜きがなくなるので、鬼たちの仕事は手抜きぎみになる。
それも困る。
地獄の権威とギャグの質に関わる。
ということで、現在の地獄省では「舌抜きは抽選」が採用されているのではないだろうか。
確かめる術ないですけど。

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