その本屋からエスカレーターを降りていくと、目の前には子供服売り場があった。
子供は成長するのが早いから、新しい服を次々に買うのは気が引ける。
そんな話を思い出した。
しかし考えてみると、大人と子供の時間の流れ方は同じじゃないだろう。
「そんな子供に、いつまでお下がりを着せておく気?」
と、このフレーズが唐突に考えだされたので、困っているのだ。
子供服のことをずっと考えていたわけではない。
どちらかというと「コーヒーを飲んでいてむせて、口からはいたのがキーボードの上にこぼれて、そのコーヒーには砂糖を入れていたっけ?」ということくらいだった、考えていたこと。
ただ、むせただけ。
しかし出るんだ口から、よくコーヒーが。
さっさと手で押さえるなり向きを変えるなり、ティッシュを取るなりするべきだったのに、思いのほか体が言う事を効かない。
効かないというよりは、どちらかというと「むせる事」が思いのほか大変なこと。
思いのほかコーヒーが口からはき出されること。
思いのほかそれに驚きを感じている自分がいること。
予想外の出来事のせいで体が動かない。
そんな感じ。
「キーボードが乾いたとき、砂糖のべたつきでキー押しの感じがどっこいしょになっちゃう」とあせる一方で「あーあべとべとになるわー。でもいいや、なるがいいさね」とどこかやけくそにもなる。
そのやけくそ感が「そんな子供に、いつまでお下がりを着せておく気?」という謎コピーを生み出したのか。
いいんだ。
いつまでもお下がりでいいじゃないか。
それよりもキーボードのべとべとのが重要でしょう?。
キーボードを干す。
べとべとは避けられないだろうが。
そして午後5時。
日もくれたのに干されたままのキーボードが言うわけだ。
いつまで干しておく気?
ごめんなさい。