最近、いくつかのイメージが突然思い出されることがあって、困る。
「ラグビーボールを取ろうと一丸となって追い、まさに取ろうとしている選手たち」
このイメージの、ラグビーボールが鳩になっているのだ。
たぶん駅のホームか何かで鳩を見たとき、そう思った事があったのだろう。
おまえらのうのうとしているが、捕まったら大変なんだぞ。
そんなことを考えたのかもしれない。
あるいはフランス料理店のシェフが高架下を自転車で通過するとき、あのたっかい帽子が引っかかったところを見たときだったか。
いやこれは見た事なかったや。
ただそんなシェフが公園で必死に鳩を捕らえようとしていることはおもしろいな、とかは思った事あったかもしれない。
飽食な日本。
いつかは食べ物が不足し、降り立った鳩を必死に捕獲することも、今後あるかもしれない。
以前も書いたが鳩は平和の象徴だ。
その鳩を賢明に捕らえ、小脇に抱えながらゴールに向かう姿勢。
置いた鳩を蹴ろうとするとき鳩は飛び立ち、やはりゴールを通過する。
スクラムへ鳩が投入される。
これらは平和への思いや活動に対して、何らかの意味を持っていると言えないだろうか。
まあとりあえずは、ラグビーがどんなスポーツだったかを思い出さなくちゃいけない。
まずは鳩が競技エリア内に降り立つところから始まるんだったな。
月: 2011年2月
すやすや
最近、すやすやを出して寝ていないような気がする。
真夜中に目覚めたり、変な束縛感にうなされることが多いから。
束縛感のほうは金縛りのような気もするが、特に霊的な派生が起こっているわけでもないので「何かはわからないが動けない感じがする」だけだろう。
しかし、ただうなされるだけだと、こちらとしても面白くないため、いろいろ観察しながら寝る事にした。
するとひとつ、気づいた。
うなされる夜は必ず、寝ようとするときに耳元でざわざわ感がするのだ。
いやな話である。
僕はこれからすやすやを出したい訳で、ざわざわはいらない。
ただ、寝ようとするときに耳元ですやすや感がしても困る。
僕は感じがすることがわかるわけだからまだ寝ていない。
そのすやすやは誰のすやすやなのかと考えたら、俺より先に寝るなよという気にもなる。
まだざわざわのほうがましだ。
戦争
戦争というものを、「一見戦争に参加していない第三者」も加えて端的にあらわそうとすると、こうなるのではないだろうか。
「第三者の口と肛門を介しての、指相撲」
いやだなあ戦争って。
1万人
エジプト、反政府サイドの1万人規模デモというのを聞いた。
以前書いたかもしれないが、日本が言うところの平和だからだろうか。
いまいちデモというもののイメージがわかない。
ゆえに「1万人」の具体的数値をもってしても、よくわからない。
「1万人規模の集団下校」
これならわかる。
すごいってことだ。
もう、横断歩道で渋滞起きる。
「1万人規模の地団駄」
これもすごい。
床も心配だが、彼らをあやす1万人規模の母親も必要なわけで、大変だ。
「1万人規模のマッスルミュージカル」
これもすごい。
床も心配だが、唯一ほっとするのは、彼らをあやす1万人規模の母親が必要ないこと。
「1万人規模の飲茶」
ロイヤル・ドラゴン・レストランあたりでできるのだろうか。
「1万人規模の電球を取り付けるときに生じるねじりぢから」
1万人デモに対するイメージは、これに近い。
すごそうなのだが、どのくらい他への影響があるのか、いまいち分からないのだ。
「1万人規模の都庁を手押しで国会議事堂の前まで持ってこよう運動」
足らないよたぶん。
飛び出す。
飛び出せ科学くんというDSのゲームが出るらしいのだが、なぜそれが3DSでないのか、全然わからない。
浜沿い表面張力
蝉の声を聞く度に
メニスカス九十九里浜
椎名林檎の「歌舞伎町の女王」で、もちろん「メニスカス」の部分は、本当は「目に浮かぶ」だ。
高校だっただろうか。
理科の授業で初めて聞いた「メニスカス」。
試験管などの容器に液体を入れたとき、その液面がちょい曲がる。
そのことを言うのだっただろうか「メニスカス」。
日常生活においても何となくはそんな「ちょい曲がり」が起きる事を知るシーンは多い。
しかしなぜそのことに名前をつけたかね。
そう思った事もあったが、ちゃんと液体の量を計測するうえでは、その方法のほかに「ちょい曲がる理由」くらいは知っておいても損はない。
そうともなれば名前くらいあってもいいかという気分である。
こういう、意外なものにも名前がついている、というのはおもろいし、実際おもろい人がいじったりもしている。
となると、ものに名前がついていないというのはおもろくなく、ぜひどんどん名前をつけていってもらいたい。
誰か頼む。
ところで冒頭の「メニスカス九十九里浜」。
なんだかスペクタクル。
n択
今年はじめ、シベリア少女鉄道の舞台に行ってきた。
とても面白く、かつ今回は体育座りじゃなかったので、腰も平気だった。
この舞台で気になっていることがある。
あるシーンで聴かれた、観客席からの「おー」という声についてだ。
終わっているのにネタばれも何もないと思うが、そのシーンはおおよそ次のようなものだ。
パチンコでスリーセブンが出そうになっているとき、まんなかの数字だけがまだ確定していない。
文じゃぜんぜんわからないが、まあそういったシーン。
そこでまんなかの数字が決まりそうになるところに神父が現れ、手に持っていた十字架の下部を曲げ「七」にして、みごとスリーセブンがそろう。
後半の怒濤オチの一角である。
この、「七」が現れたとき、観客席から「おー」という声が少し聞こえたのだ。
僕にはそれが気になってしょうがなかった。
僕にとってこの場合の「おー」は、予想外のときに発せられるものだと考えていたから。
というのも、このシチュエーション上、「7」を表す何かが登場することは想像に難くなく、神父役の人もかなり思わせぶりにそのシーンに登場してきたのである。
その神父は冒頭からその十字架を手にちょくちょく登場していたため、「最初から手にしていた十字架が、まさかここで七になるなんて!!」という意外性もないわけではないが、それにしても「おー」はないんじゃないだろうか。
僕としてはこのシーン、神父が登場したときに「どうにかして「7」を表すか」「不条理」の、どちらが起きるのか。
それが楽しみだった。
そして今回は「7」を表すほうになり、僕は「そっちか、うまいことやりやがって。おもろ!!」と楽しんだわけである。
ということで、それ以外が起きたときだけ僕は「おー」と口にしただろうし、もしくは「おー」たる何かを、僕が見逃してしまったかだ。
と、例えば「十字架を曲げて七にしようとしたとき、爆発する」を挙げようと思ったが、これが「不条理」なのか、長い目で見て合理的な意味を物語上持つものなのかどうか、わからなくなってしまった。
「神父が舞台中央にたち、そのまま幕」というのも考えたが、何気にメタ展開とでも言うべきこの方向性に似た事を、既に劇中やっちゃってくれているので、これもどうか。
今まで何回かこの劇団?の舞台を見ているが、毎回格ゲーのn択のごとき展開を用意してくれる。
観客に予断を許さない人たちなのだった。
そして今回、僕なんだか気持ち悪いやつ。
100の喜び、50の落胆。
最近、隙あらば100円を捻出するような買い物のしかたをしている。
みどりがめのガチャガチャをするためだ。
それは300円という、集めることに迷ってしまうような金額だ。
ガチャガチャゾーンで100円を込める時間も恥ずかしい気がしている僕にとって、その時間が一般的なガチャガチャよりも3倍かかるという点でも、この300円という金額はつらい。
しかしそのかめを並べてみると楽しかったので、ついガチャガチャの前で座り込んでしまうのだった。
そしてあることに気づいた。
このガチャガチャは、みどりがめが少ない。
どういうことかというと、種類が「みどりがめ」と「みどりがめアルビノ」の2種類あり、要は慣れ親しんだみどりのやつと、全身白のアルビノなのである。
10個くらい買ったが、どうも白いやつばかりが出る。
みどりのものは2匹くらいだ。
簡単な話だ。
みどりのほうが細かく塗られており、たぶんアルビノより大変なのだろう。
だからって、なんだ。
みどりがめのガチャガチャなんだから、みどりのがいいに決まっているじゃないか。
その数が少ないなんて、あんまりじゃあないか。
みどりのが、いいんだ。
そしてあることに気づいた。
このガチャガチャは、やっぱりみどりがめが少ない。
どういうことかというと、種類がやっぱり「みどりがめ」と「みどりがめアルビノ」の2種類あり、要は慣れ親しんだみどりのやつと、全身白のアルビノなのである。
20個くらい買ったが、どうも白いやつばかりが出る。
みどりのものは4匹くらいだ。
簡単な話だ。
やっぱりみどりのほうが細かく塗られており、たぶんアルビノより大変なのだろう。
だからって、なんだ。
みどりがめのガチャガチャなんだから、みどりのがいいに決まっているじゃないか。
その数が少ないなんて、あんまりじゃあないか。
やっぱりみどりのが、いいんだってば!!。
ぺんぺんぐさもはえない。
太古より、富の象徴は絶える事ない水のめぐみそのものである。
その水を永遠にたたえるという聖杯のうわさは、文字が生み出される以前からあっただろう。
それほどに聖杯を求めた話、伝承は多い。
しかしその主役である英雄たちの旅路は、悪い結果ばかりだった。
帰ってこなかったのである。
実は、どこに聖杯があるのかはおおよその見当がすでについていた。
しかし誰もその存在を確認、戻ってくる事もなかったのである。
そこには悪魔がいるらしく、聖杯を守っているとか。
どうも英雄たちはその悪魔にやられてしまったのだろう。
わたし、トトはその場所に、まさに今やってきている。
聖杯を手に入れるため。
ただ正直なところ、躊躇している。
気の遠くなるような長いあいだ、聖杯を守ってきた悪魔。
聖杯を手に入れることができれば、母国の安泰は確実だ。
しかし悪魔を倒さねば、それは達成できない。
その場所は、どうみても小さい一軒家だった。
わたしは今、ちょうどその玄関前にいるのだった。
あまりに聖杯があるというには牧歌的なたたずまい。
それに感化されたのか。
わたしは無謀にもノックをしてしまった。
「どうぞ」
意外に優しい声。
悪魔は力や魔力というより、人の心につけ入る能力に長けたやつなのだろうか。
「どうぞ」
まただ。
遠慮するでもなく、しかし強制するでもなく。
絶妙だ。
「どうぞ、ちょっと自分動かれませんので」
なんか下手だ。
優位に立つ者こそ下手に出るというが、それだろうか。
おそるおそるドアを開けて中をのぞく。
一部屋しかない。
と、部屋中央の腰掛けに座る男に気づいた。
凝視する必要もなく、明らかな悪魔だった。
雄牛を思わせる角が頭から生えており、老人にも似たその顔は醜い。
悪魔である。
しかし悪魔は、さっと身構えようとするわたしを制するわけでもなく、ごめん動かれないんでと一言。
わたしに部屋に入るよう、仕草をした。
部屋のようすをより観察してみると、思いのほか整頓されている。
しかし悪魔の部屋だ。
何があるか、わかったものではない。
部屋に入ろうとしないわたしに対し、悪魔は慣例のようにこう伝えた。
「聖杯でしょう。できれば持っていってくださいよ」
「来た人みんな、なんかあーあみたいな表情で、聖杯持っていかんのよ」
聖杯という言葉を聴いて俄然勇気が出てきたわたしは部屋になだれこむ。
どこだ聖杯は!!。
「これです、僕の座ってる、これ」
「これ、水が絶え間なく出ますんよ。部屋汚れるし、ふたなくして」
「だから仕方なく座ってますの。持ってってくれるんなら助かるんですけど」
悪魔、ベルフェゴールはそう言って器用にほおづえをついた。
ウォシュレット発見の瞬間である。
いいくすり
「太田胃散がいい薬かどうかは、俺が決める」
そう言いながら大量の小麦粉をお腹に叩き付けている。
わたしはそれを見て「それは小麦粉です」とは言えなかった。
あまりにあなたは真剣だったし、わたしもそれほど、太田胃散に注目はしていなかったから。
そのときの傷がもとであなたがこの世を去ってから3年。
わたしはその悲しみをお酒で忘れようとした。
でも、できなかった。
胃のむかつきに効くんだもの。
太田胃散。
さとる、ありがとう。
いい薬よ、太田胃散って。
追伸
太田胃酸だとずっと思ってました。