ある駅で「準備中」のシールだけが貼られた無地の看板を見つけた。
僕が合っていると思うのだが、おそらく何も準備していないだろう。
無地の状態が何となくしのびないから、とりあえず準備中ステータスにしたのだ。
飲食店でもよく見られる、この「準備中」。
どうも我々は「特に何もしていません」ということに罪悪感を持つらしく、たとえ何もしていなかったとしても「準備中」としたがる傾向にあるようだ。
「準備中」の札がかけられたドアの向こうで、人気が全くないというそば屋は、まさにそれにあたる。
このことは、タイミングによっては利用客の怒りをかうことにすらなる。
そばが食べたかった人が、札の前で憎らしげに言うのだ。
「準備なんかしてねえじゃんか」
例えばこれが、「準備中の札出し + 店内の椅子が全て店外に出されている」だったとしたら、ああ準備中なんだねと納得もできる。
「準備中の札出し + 店内で店員が整列して立っている」。
これも納得だ。
「準備中の札出し + 段ボールいっぱい」。
「準備中の札出し + 調理道具がぶつかり合う金属音」。
「準備中の札出し + クラウチングスタートの構え」。
どれもこれも、納得博覧会だ。
と、このように受け手側としては「準備中」には準備中たるもう一手が必要と考えていることもあるわけだ。
そこで駅の看板の「準備中」。
「準備中ではないのではないか」。
違和感を感じた僕に対して、本来どんな一手が必要なのだろう。
明日。