「馬の耳に念仏」ということわざがある。
これは馬などにありがたい念仏を聞かせてあげたところで理解できないよ、ということだったかと思う。
けど、とらえようによっては「馬は念仏のありがたさを充分知っているから、聞かせなくていいよ」という感じでもいけそうだ。
「釈迦に説法」だって、わかりきっているが説法やることに意義ある!という使われ方でもいいと思うのだが。
けっこう、ことわざはとらえかたで深くなる。
「馬の耳に吐息ふきかけて 1987」
今のは関係ないが、「鬼に金棒」は「あまりに定石な、ルーチンなこと」とでも解釈できそう。
「おや、鬼に金棒ですか」
そう理解した死者が地獄に行ったとき、鬼は血相を変えて金棒を手放すかもしれない。
「猫に小判」
猫に小判を与えられるほどの長者。
たまたま猫のとなりに小判があった、そのさま。
猫は人間にとってかけがえのない生き物であるから、いとまを与えるなら小判レベルの餞別を与えること。
「たなからぼたもち」
田中たちにはぼたもちを与えろという意味。
たなにあったぼたもちをとりだす、そのさま。
「たなからぼたもち、ひきだしから大福、テーブルクロスの下からハートの6」という、手品の仕込みのこと。
こんな具合。
一方、他の意味を持たせにくいことわざもある。
「二兎追うものは一兎をも得ず」系のやつだ。
ああそうですね、としか言えないじゃないか。
でも、なんか考えてみる。
タクティクスオウガが終わったら。
次回。