「どM過ぎて、ちょっとNに片足つっこんでる」というのを考えたのだが、ちょっと思うところがあり、書くのをやめていた。
文言自体に深い意味はなく、単に「度が過ぎて、次のアルファベット順のに、はみ出た」ということだけ。
既に誰か考えている可能性も非常に高く、その点後発しても申し訳ないかな、とも思ったし。
ただ、登録をためらったのは、むしろ「誤解を招く」、そんな気がしたからだ。
「NというのはNormalとも取れるため、どMも極限までいくと、むしろ正常なんだよ」
なにか、とても意味ありげである。
しかしこちらはそんなことまでは考えておらず、「MからNに、はみ出ました」だけだ。
「ほとんどの人はどこかでひとつくらいは正しく狂っている」
そんなことを書いた本があったような気がする。
やはり何か意味ありげで、様々な分野で考慮されそうな感じだ。
しかしそんなことを「MからNに、はみ出ました」で悟られては困ってしまう。
「MからNにはみ出た、はみ出ただけなんだよう!!」。
何かしらの形で人に感情を生み出させることを生業または趣味にしているものにとって、この手の事象は恐怖だ。
「今日はどんなネタでも笑ってくれたなー」と芸人さん。
しかしお客さんは、芸人の頭にずっと止まっているモンキチョウがたまらなかった。
これはショックだ。
こんな悲しい話はあまりない。
せっかく面白いことを喋っていたのに、それが箸置き化に奪われてしまった。
そしてそれに気づいてない。たまらない。
成立はするだろうが、本人は残念だろう。
「この辺ではワルで通ってるから、みんな避けて通るぜ」とヤンキー君。
しかし周りの人は、閉じ忘れたらしい社会の窓から顔をのぞかせるヤンキー君のほうが怖かった。
これもつらい。
そんな、と言葉を失う。
カッコよさげなのに、そんなことのせいで台無しになってしまう。
そしてやはり気づいてない。たまらない。
意図しないところで、意図したことよりも大きいことが起きるのは、結局収支マイナスなのである。
その後、何らかの形で「実はこんなハプニングがあってさ?」と会話の素材にでもなることで、ようやく収支ゼロだ。
それまでは恥ずかしさとか何かで、心が痛む生活を送ることになる。
マイナスに心痛む彼は、こう言うに違いない。
「はみ出た、はみ出ただけなんだよう!!」。
もちろんMだの書かないのは「誤解を招く」、そんな気がしたからだ。