ある中華屋さんに入ると、目をひくのが「北京ダックまつり」の貼り紙だった。
安いのかおいしいのか、とにかくまつりなのだった。
「まつり」というのを食品に使うことは結構あることだ。
しかしその軽快な雰囲気の一方では「ダックたちは地獄」を感じずにはいられない。
別に菜食主義とか過剰な食物事情とかをどうこうするつもりは全くないのだが、あまりにダックたちのことを忘れている気もする。
「食う側が食われる側のことを考える」
自体がかなり自然的なことではない。
しかし、ちょっと「まつり」と称するのは、あまりにまつりまつりしすぎている。
僕も「まつり」にあてられたのか、今までダックたちのことを忘れていたからか。
北京ダックって食べたことないですし。
次回
「まつりしばり」