ジェンガ

正直、僕はジェンガのことをあまりちゃんとは考えていなかった。
しかし先日、こんな光景を見て深く反省した。
「ジェンガは何て雄弁なんだ」と。
詳細は省くが、簡潔に書くと「くずれたジェンガの前で、人が話す」という光景だ。
想像してもらいたい。
「くずれたジェンガの前で、人が話す」ところを。
どうだろう。
どんないいことを喋ったとしても、なんだかネガティブな感じになってはいないだろうか。
「感慨深い話をしているが、ジェンガはくずれている」
このとき、僕はひどく興奮してしまい、周りの「あらあら」な目をよそに「この面白さは今年一番だ」と連呼してしまった。
あとから考えたのだが、ジェンガをプレゼンなどに利用できないだろうか。
学校で何かを発表するとき。
あなたは教壇に立つと、おもむろにジェンガを置く。
みんなは動揺するが、あなたはプレゼンを開始。
そして要所要所でジェンガのパーツを抜いていくのだ。
くずれたときが終わりであることなぞ、説明しないでも教室全体にいきわたっている。
緊迫したプレゼンである。
ちゃんと言うと、緊迫したジェンガになるだろうが、そこは吊り橋における勘違い恋愛感情のようなもの。
緊迫したプレゼンとなるだろう。
そしてなによりも、みんなプレゼンを聞かないだろう点が重要なのだが。

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