昨日から。
【あらすじ】
「無理を承知の上で」という言葉があるが、無理であることを承知しているのであれば「承知の上」なんてものはないはずだ。
でも、それでも「無理を承知の上で」何か行わなければならない場面とは。
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まず思いつくのが「カルネアデスの板」だ。
本ブログでも触れたことのあった気がする。
「あのー、この板ゆずってもらえませんかね。いや、無理を承知の上でなんですけどね。」
これは切実だ。
無理難題を相手に押し付けており、もちろんあんまりなことだと言ってる側も承知しているだろう。
「あ、いいですよ。僕、あっちの浮き輪、チャレンジしますから。」
まずこうはならない。確かに無理だ。
でも「無理を承知の上で」言いたい。ゆずってくれと。
板の浮力が足らず、両者共倒れになりそうだったら、なおさらだ。
「ちょっとすいません。そのパラシュート貸してくれません?。無理を承知の上でね、ね!?。」
やはり切実だ。
ややアメリカンジョーク的な雰囲気が出ていていやだが、とにかく想像してもらいたい。
スカイダイビングで飛び降りたはいいが、しょっていたのがパラシュートではなく、ただのナップザックだったときのことを。
無理とはわかっていても、近くのダイバーに「無理を承知の上で・・・」とたずねたいだろう。
と、上記2例からわかることは、「無理を承知の上で」は生命の危機など、かなり根源的な場面で使われそう、ということ。
切迫した状況だからこそ、ダメモトでも聞くという行動になるのだろう。
ただ、そういった方向でないものも、あることにはある。
「このピーマン腐りそうだから、もうちょっとまかんない?。無理を承知の上で言ってんだけど。」
「無理だとは思うけど、多重結婚しない?。無理なことは分かってんだけどね。」
「ひまだからさ。僕の考えた遊び「こえだめどーん」しない?。無理だったらいいけど・・・」
この3つの例に、生命の危機はない。
そしてそこには「無理っぽくね」しかない。
そう。
これらが言うところの「わがまま」ってやつだ。