「無理を承知の上で」という言葉があるが、結局それは承知できていないのではないか。
無理なんだから、「無理」の上、次のことなんかないのだ。
「皆無」という言葉がある。
「ピーラーでむだ毛処理する人、皆無ですね」
こう書かれたとき、人によっては「一人や二人はいたんじゃないか、ピーラーで剃るやつ」と感じるかもしれないが、「皆無」とはゼロのこと、それ以外の何者でもない。
ゼロのことをかっこよさげにいいたかっただけなのだ。
冒頭の「無理」もそれと同じで、無理以外の何者でもないと思う。
「パプアニューギニアの「パプア」の部分を変えられないかな。無理を承知の上で。」
こいつは無理の意味をわかっていない。
だから承知なんてなっちゃいない。
とにかく無理なんである。
何が無理かって、「パプア」あっての「ニューギニア」であるのに。
そのアイデンティティを損なうような変更を求めているところが、それに当たる。
まあ例はなんだが、とにかく本来「無理を承知の上で」という言葉は存在しないはずだ。
しかしそれでも「無理を承知の上で」がある理由。
法定速度以上のスピードが出る自動車の、その理由的な何かがあるのではないかと考えた。
おそらく使用しなければならないシーンがあるはずだ。
そんなのを次回。
現在ネタ皆無。