先ほどテレビ、TVを見ていたら、「なんとか俊夫さん(投げ縄漁法歴30年)」みたいなのが語られていた。
もちろん「投げ縄漁法」というものは今勝手に作ったもので存在せず、その効率の悪そうな漁法に、考えた私もメランコリーである。
まあとにかく、歴だ。
考えてみると、私たちは多くの歴を生み出してきたし、上記の例のように、これからも生み出すのだろう。
有名なところだと「彼女いない歴」だ。
時間に関する言葉の中でも、なんとなく重厚な感じを出す「歴」。
その字を使わねばならなかった彼の心情がよく表れている。
これが「彼女いない期間」や「彼女いないタイム」だと、まだ望みはありそうだが、「彼女いない歴」だと、もうイコール年齢ね、というイメージが強い気がするのは、私だけだろうか。
と、ここでいきなり「なんとか歴」の例が枯渇してしまったが、逆に言うとそれは定まったものではなく、機会によって軽く創造されるものだからなのだと気付いた。
何でもいいのである、歴。
「しょうゆ歴」や「マヨネーズ歴」でもいいし、「武蔵五日市線歴」でもいい。
年齢は「生き歴」であるし、「トイレ歴」である。
冒頭の「投げ縄漁法歴」が認められるのなら、「美空ひばりものまね歴」もあるだろうし、「花粉症歴」なんてもう、れっきとした歴だろう。
このように「歴」は、制限なく作りまくってよい時間体系なのだ。
いや、制限はある。
「正確な時間の必要なものなど、重要な内容のものには向かない」だ。
例えばマラソンで、1位でゴールインした人のタイムが「走っていた歴2時間15分6秒」だと発表されたら、どうだろう。
いや、分かるけど、ねぇ。
それはないでしょ。
そう思うだろう。
そして、なんとなく「よくがんばったで賞」という言葉に対する苛立ちのようなものも感じるはずだ。
どうも「歴」をこのように使用する場合には、ゆるい内容のものにしか使ってはいけないようなのである。
では、ゆるい内容だけど、重々しさを出したい、というわがままさんがいたら、どうすればいいだろう。
今回、この問題に対して「こよみ」の採用を提案する。
「暦」だ。
「歴」と「暦」の違いを私は知らないが、まあそんなに違わないんじゃないだろうか。
「にさんかたんそ」と「みたらしだんご」くらいの違いしかないと思う。
暦とくればグレゴリオ暦に代表される、なんだか重いな、の印象。
とにかく使ってみよう。
「彼女いない暦」
「投げ縄漁法暦」
「朝ごはん食べない暦」
「ケータイのアラームがなる直前で起きる暦」
「マーガリンの表面についてる紙はつけたままにしておく暦」
ほらね。
どうでもよくなっちゃった。