昨日からのつづき。
【あらすじ】
精神年齢が80歳なカレ。
で、何が彼をそう呼ばせるのか?。
※「精神年齢80歳」を司るものを、ここでは「80感」と呼ぶことにする。
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まず、多くの人が思い付くこととして「趣味、写経」がある。
確かに80歳臭のしそうな趣味だ。
また、盆栽、身体能力関連も見逃せない。
枝を間違って切っただの、足が上がらないだの「80感」を与えるのには十分だ。
だが、「80感」を出すものには、歳を取っていることならではの「落ち着きっぷり」や「悟り」というものもあるだろう。
すなわち、精神年齢が80歳なカレについて考える点で重要なのが、「80感」をどうとらえるか、ということである。
例えば何か、厳かな、畏敬な感じが「80感」であるとするならば、精神年齢80歳の彼はストイックで、確実に座禅を組み、鳥のさえずりに和み、杯に花びらが入る。
一方、年寄り的な、ほんわかな感じが「80感」であるとするならば、彼は確実にこめかみに見慣れぬ小さいパッチをはっており、さるまたまるみえである。
結局、精神年齢の情報だけを手に入れても、その人がどういった人物なのかは分からないのだ。
今回、話題となった「精神年齢が80歳なカレ」は、友人らしき人から、確かに精神年齢が80歳であると言われていた。
でも、それだけでは、彼が何をやったのか、わからない。
残念ながら、電車内での見知らぬ人らの会話なので、これ以上の進展は望めないだろう。
彼が、残ったご飯粒をたくあんでまとめて、一粒残すこともない人物風なのか。
コントに見られるような、地上を杖の先で打ちまくる老人風なのか。
永遠に分からない。
絶対分からない。
その友人らしき人は爆笑していたが、それもさるまたまるみえで笑っていたとは、断言できない。
「お前、高潔すぎて精神年齢80歳くらいに見えるよウヒャヒャ」
こうなると、当ブログ的には、もはや友人も無視はできないのである。