きのうから。
【あらすじ】
学校で過ごした時代は、過去であるにもかかわらず、その存在は多くの人間にとってあまりに大きく、その後も影響を与え続ける。
そしてそれは、ある意味「弱点」と言える。
なんでこんなに影響が?。
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「10代という、人間という生物にとって、色々な意味で一番生産的な時期を、我々はそれ以外のことで費やしているのである。」
別にエロホームラン(?)をかっ飛ばすつもりはないが、まぁ、そういう意図も少なからず含有する上記のかっこ。
こんなことを書いた本をいくつか読んだことがあるし、扱いがやっかいそうな誰かが言っていたような気がする。
もちろん「われわれはその以外の?」あたりは、いわゆる学校生活を指していると思われる。
別に、ここで「じゃあ、明日から校門をくぐらないで、五反田駅の改札をくぐろう!!」とかいうことが言いたいわけじゃない。
単純である。
そんな生産的な時期と学校時代がかぶっているため、僕らに強い影響を与えるんだろう、弱点となってしまうのだろう、ということだけだ。
考えてみよう。
その、生産的な時期とやらに、考えの違う他人との集団活動やら、異性やら、刺激的な音楽やら、面白い実験やら、難解な数式やらが押し寄せるのである。
これは、今にも破裂しそうなデキモノに、消毒していない画鋲を何個もあてがうような、そんな感じ。
これでは、学校時代が人生において、比重が大きくなるのも無理はない。
それが、彼の上腕部に残るBCGの跡と同じように、末永く残るのだ。
ということで、学校時代が40歳から始まります、ということになったら、それは弱点になりえないだろう。
となると逆に、生産的な時期を生産的に過ごしました、それが代わりの弱点となるのだろうか。
生産的なことを弱点として残りの人生を送るのは、少し寂しい。
また、40歳からやっと学校生活を経験できる人生となると、50代で社会になじめないとか感じる、そんなことにもなるのだろうか。
モラトリアムなお年頃の50代が待つ人生を送る可能性を考えるのは、寂しい。