教会とは、なんだろうか。
そこに用事のある人以外、いまいち捕らえにくい建物ではある。
「こないだ行った教会は、天井が高かったよ。」
これは教会の説明としては、どれほどのものなのだろうか。
まぁ、この方向で行くと「神社、砂利がひいてあったよ。」や「お寺、誰もいなかったよ。」が生まれ、そんなこんなでなかなか解決しない。
ところで、教会のことはよく知らなくても「懺悔室」は知っている。
教会において、どのようにその部屋が存在しているかはわからないが、よく映画などで見られる、
神父さんと懺悔者が、服役者と面会者ライクな仕切り板を通して話すヤツ。
「子供の頃殺しまくったコオロギが夜な夜な夢にあらわれ、私を苦しめるのです」
「懺悔なさい」
実は、それほどこの言葉は笑わし文句ではなく、大人になってから、虫を殺したことを後悔する人は、案外多いのではないかと思う。
とにかくこんな感じだ。
こないだ行った教会は、天井は僕の予想通り高かったのだが、懺悔室もあった。
いや、僕はもっとちゃんとした「室」を想像していたのだが、それは教会本部屋(一般的な一戸建てで言うところの、テレビを置く部屋)の片隅に「低い壁で仕切られた領域」として存在した。
そして、その中には一つ、小さなイスがぽつんと置いてある。
もしかしたら懺悔室ではなく、懺悔ゾーンとかいう、別のものかもしれない。
ところでこの懺悔ゾーン。
小さなイスの両側には、先ほどの「服役者と面会者ライクな仕切り板」があるが、イスの目の前は全開である。
そしてその仕切り板、両側ともに会話用の穴が無数に開いているのだ。
実は僕、その椅子に座るのが神父さんなのか懺悔者なのかがわからないのだが、例えば神父さんが座るためのものなのだとしたら、両側の板に存在する穴は、両側から懺悔することができることを意味している。
夫婦喧嘩の相談に来た夫婦が、同時にその行為を同一神父さんに懺悔することができるのである。
圧倒的なのろけ。
神父さんはどうかなってしまうのではないだろうか。
もしくはケンカのつづき。
やはり、神父さんはどうかなってしまうのではないだろうか。
また、小さなイスが懺悔者のものであるとするなら、神父パワーがダブルである。
圧倒的な浄化。
懺悔者はどうかなってしまうのではないだろうか。
教会でどうかなってしまった人が出てきた、という話は聞かないので、教会はどうかなってしまうようなところではないようだ。
教会とは、なんだろうか。
消去法の道のりは、長い。