尾塚

人類が進化の過程で尾を捨てたことは、奇妙というほかない。
我々の得意分野である「2足歩行」に、「尾によるバランス調整」はすごく合っていると思われるからである。
まだ足元もおぼつかない幼児に尾があれば、平均3ヶ月は立ち上がりはじめが早まるであろう。
小さな子と一緒に出歩くときは、自分の尾をつかませておけばいいし、暇なときは振り回して遊んでもよい。
長ければ、手の届かない、背中のデッドゾーンをかくこともできるだろうし、ドラゴンボールの孫悟空がやっていたように、ルアーの代わりになるかもしれない。
なに失ってんだ、人類。
こんなにも便利なのに。
どうやら、尾が失われた背景には確実に「かなり誤った出来事」が起きたに違いないようだ。
・祖先たちの間に「しっぽカッコ悪い」という風潮が広まった。
前述したように、しっぽにはメリットの部分が多い。
だから、自然界に生きるものなら自分の身なりどうこうではなく、何が生存、種の保存に有効であるかを優先するべきなのだ。
しかし、ほにゃらら紀の我らが祖先は、目先の流行にとらわれてしまった。
発端は「毛」だろう。
「うわーお前のしっぽ、ふさふさ過ぎね!?。」

「ていうか、お前のしっぽ、長くね?。」

「お前、しっぽっていうあだ名な?。」
このような変遷がかなり密に起こり、長い尾を持つ祖先たちは「しっぽ」というあだ名に悲観し、旅に出た。
その結果、尾のないやつらが繁栄したのだ。
・樹上にて「しっぽが首にからまり死亡」してしまう事故が起きた。
偶然だった。
被害者は長い尻尾を自慢していた。
しかし、何かをしていたとき(寒くなってきたので首まわりにしっぽを巻いていた等)、枝から枝への跳躍時にしっぽがひっかかり、
今回のような事故が起きてしまった。
誰も、悪くなかった。
運が悪かっただけ。
しかし、既にこの時点で人類は誰かを悪者にしないと気がすまない気質を獲得してしまっていた。
悪者は「尾」であり、「尾を持つもの」であった。
ちまたでは「テイルカット」が風習として行われるようになり、尾の長い子は不吉であるとされ、幽閉されたりしたのだ。
・ズボンにしっぽが合わない
実は、ズボンがこの世に誕生したころには、まだ人類はしっぽを持っていたのである。
この頃は尾も進化(?)しており、すごく興奮したときにだけ、背中からびゅっと伸び、尾となる仕様だった。
しかし、ズボンをはくようになると、びゅっとしたときにズボンのおしり部分に衝突し、「うっ」ってなる祖先が続出した。
もちろんズボンに穴を開けたりすればいいのだが、何回か「うっ」ってなると、もう尾が出てこなくなったので、そんなものか尾、と思われるようになった。
そして、その尾が今では背骨として、我々の体を支えているのだ。
だいたいこんなところ。
なんなんだ、「こんなところ」とは。

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