本日、3次元の友達とラーメンを食べた。
ここのラーメン屋は、どうしたことだろう。
食べる席ひとつひとつにモニタが設置されており、そこでなにやら流行りの歌のプロモなどが流れる。
よって、若者は食欲だけでなく、いやおうなしにCD購買意欲も刺激されるような仕様なのだ。
人間で欲と言えば3つほど思い出されるが、それを複数、同時に満たすことは難しいとされていた気がする。
そのような人間の気質のおかげか、食欲を満たしても「いますぐCD買いに行かな!!。」とはならなかった。
さて、目の前のモニタでは、どこかで聞いたことあるような人のプロモがやっている。
だが、僕は最近の音楽事情に極めて疎い。
「最近の歌とかには、ついていけなくてねぇ・・・。」
えんがわのひなたぼっこの様相である。
と、モニタに「柴田淳」なる人物が現れた。
申し訳ないのだが、全く知らない人物だ。
彼女がなにやら曲を出すのだろう。
「シバジュン、待望の・・・」みたいな字幕が出る。
そこでなんとなく「田くらい、略さなくてもいいのにね。」とかいうことを言い、ラーメンとプリンを食べ、ゲーセンに行って帰った。
しかし帰り道、僕は深い後悔を味わうこととなる。
「さっきのシバジュンの田のくだり、「日本の食料自給率低下の一因が、こんなところにも。」と付け加えるべきだった・・・!!。」
この後悔は、みんなが思っているよりも深いが、直りも早い。
月: 2007年9月
カノン?
よくわからないのだが、こういうことはできるのだろうか。
1.何かの楽器で、録音をしながら曲を弾く。
2.別の楽器で、再生した1の曲と合わせつつ、曲を録音しながら弾く。
3.「1と2」を繰り返す。
4.すごい大演奏になる。
僕が見たいのは、この過程を全てリアルタイムでやっているもの。
1を行ったら、録音したものを再生しつつ2の準備をする。
そしてもう一度1を再生するときに、2をかぶせるのだ。
これを繰り返せば、ひとりオーケストラとも言うべき、ちょっとさびしいニュアンスを持つ行為も可能なんじゃないか、と。
歌のうまい人がやれば、全て自分で演奏した曲に、歌をのせることができ、かっこよさげだ。
そして、これを舞台で一人でやると、すごくいい気がする。
色々な楽器を一人でこなさなくてはならないので、大変そうだが。
ただ、誰かすでにやっていそうな気がする。
DVDとか出ているんじゃないだろうか。
出てたら、み、見たい・・・。
今「ひとりオーケストラ」で検索してみたら、なんだか正月のかくし芸での青木さやかの見世物がひっかかる。
残念だ!!。
近頃のかくし芸は、全然視聴していないので、「青木さやかのひとりオーケストラ」がどんなんだったのか、わからんのだ!!。
そういうのは、もっと押していこうよ、さやか!!。
かくさなくても、いいじゃないか!!。
と、そういう感じのことができたら、結構迫力があって面白いと思った次第で。
フレンチ・キス
先ほど、リップクリームにスティックのりを仕込むという、いたずらを思いついた。
もちろんスティックのりにリップクリームを仕込むほうでも、いいことはいい。
しかし、何気にリップクリームは、封筒の口を塞ぐくらいの粘着力はあるかもしれないし、それを送られた日には、むしろ相手は開封時に「まぁ、さわやかな香り。」と感じるため、ちょっといたずらとは言えなくなりそうだ。
また、それほどの粘着力がなかったとしても、単に封筒にちょっといい気分をさせるだけだ。
人畜無害。
よって、リップクリームにスティックのりを仕込むほうが針千本飲まされる確率が高いと言える。
では、実際に仕込んだあとのことを考えてみよう。
誰かのカバンの中に入れておく。
誰かが、おもむろにそれを取り出し、唇に塗る。
なにこれ。
少し舐めたあと、ティッシュで拭く。
ある程度、労力を払ったのだ。
やはりもっといいものが見たい。
このいたずらにおいて、万人に浮かぶのは「んまっ!!」だろう。
「んまっ!!」について、少々補足させていただくと、
1.塗る
2.のりであることに気付かない
3.口は閉じたまま
4.のりが固まりそう
5.固まる寸前に口を開こうとする
6.口が開かず、苦しい
7.んまっ!!
このように「んまっ!!」への道は険しい。
ハードルと思われる部分は人によって違うだろうが、だいたい順番2?5であると考えられ、そして、やたら高いのだった。
可能性を考えると、いたずら被害者に「寝てる人」を当てるのが一番と思われるが、それでは「リップクリームにスティックのりを仕込む」という前提に、意味がなくなってしまう。
寝てる人には、そのままスティックのりを塗ればいいのだ。
このように、私たちが期待するような形で、順番7まで見ることは難しい。
「んまっ!!」まで到達できるいたずら被害者が複数いたら、それはもういたずら加害者としては夢がいくらでも広がりそうだが、残念ながら夢のまま、と言えよう。
だめな日
今日は、だめだ。
なんか、書いとくから。
使っていいよ。
「人にやさしくできる人は、人にやさしくされたい人だ。」
※ちょっといいことしたら、思いっきり恩着せがましく言おう!!。
「ワタシノ ツマハ モノヲ ツカムコトガ トクイデス」
※なにやら似たのを聞いた気がするけど、気にするな!!。
「ねり消しをねり続けると、だんだん垢と入れ替わってきます。」
※手っ取り早く純粋な垢を手に入れる方法だ!!。
「ロミオ(の庭師)とジュリエット(の庭師)」
※物語は、ヒーロー、ヒロインだけのものじゃない!!。
「ぱ、パーマとやらが、僕のあたまに!?」
※実際に言ってみたことがあります。
追記
なんだこれ。
洗手 3
昨日からの続きです。
【あらすじ】
黒い油で手が汚れているのだが、洗う場所がない。
下北沢という町は、雑貨と寺山修司氏が大好きな人々の集まる町、と言っても過言ではないが、もちろんそれ以外の人が来ても、うろうろできる。
しかし、手の汚れている人は、来てはならない。
まず、何も手に取れない。
ところせましと店が並び、魅力的な、なんだか用途のわからないものが売られているが、それを手に取ってしまうと黒い油で汚れるので、触れない。
じっくり選別することが許されないのである。
確か、気になっていためがね屋があった。
でも、ざんねんなことに、手が汚れているのだった。
めがねのふちを汚してしまう。
財布がほしいと思ってから、かれこれ3ヶ月くらいたつ。
でも、ざんねんなことに、手が汚れているのだった。
新品の財布が使用感たっぷりになってしまう。
なんだかお腹がすいてきた。
でも、ざんねんなことに、手が汚れているのだった。
ナイフや箸の美しい光沢を損ねてしまう。
ずいぶん前から、一辺50cmくらいの、木でできた正方形に近い、足が角ばった、学校の木工室にありそうな机を探していた。
でも、ざんねんなことに、そんなものはなかった。
ここで買えたとしても、どう持って帰るかで途方にくれてしまう。
このように、手が汚れていると下北沢のウリのひとつ「雑貨」が楽しめなくなってしまう。
あ、あそこに、寺山修司氏が歩いている!!。
・・・なんだ、ポスターか。
無意識のうちに、歩いている人とポスターを融合させてしまったようだ。
彼はずいぶん前、けっこう若いときに亡くなっている。
もし彼が生きていて、なぜか下北沢を歩いていて、なぜか僕と互いに「寺」「7」と呼びあう仲だとしても。
今の僕は手が汚れているので握手とかできないし、そもそもやっぱり近寄れないだろう。
このように、手が汚れていると下北沢のウリのひとつ「寺山修司氏関連」が楽しめなくなってしまう。
このように、下北沢で楽しめなくなった僕。
それを助けてくれたのは駅前のスーパー「ピーコック」だった。
そこのトイレには洗浄液とアルコールが置いてあったのだ。
そこで、無我夢中で手を洗った。
手を洗うときに、後ろの人を長く待たせることなんて、そうはない。
すばらしい爽快感と、洗浄液の芳香。
ありがとう、ピーコック!!。
ありがとう、洗浄液!!。
こうして僕の中では、下北沢は「雑貨とピーコックと寺山修司氏の町」となったのです。
「ピーコック2位で、寺山修司が3位かよ!!」と思われる方がいらっしゃるかもしれない。
だが僕は、本が読めない状態で、この町に出て来た。
ほんの。
ほんの少し、彼の言葉を踏襲した気もするのである。
洗手 2
昨日からの続きです。
【あらすじ】
オトナは、手が汚れてちゃ、ダメだ。
以前、土を掘ることとかを、を書いた。
この話でミソとなる部分のひとつは「おとなの手が汚れていたら、変だ」という点であると思っている。
==========
このあいだ、髪を切断するため、駅に向かっていたとき。
自転車のペダルがやたら軽いことに気づいた僕は、すぐにチェーンが外れていることに気づき、いやだなぁと思った。
それは、自転車のギア部分にチェーンをつけなくてはならないということであり、イコール自転車のギア部分についている黒い油をニベアニベアすることを意味している。
そして、この油は洗ってもなかなか取れず、石鹸に対しても、子猿を奪われた母猿のように強いのだ。
しかたないので、手を汚しながらもチェーンをはめていく。
黒い油は、ハンバーグを作るときのひき肉油のように、半端なく手につくのだった。
でも、このとき僕は油断していた。
駅で手を洗えばいいや、と思っていた。
それまでの辛抱だ、と。
ところが、期待は裏切られた。
皆さんも覚えておかれたほうがよいと思うのだが、近頃の駅には石鹸がない。
固形の石鹸はもちろん、液状の、なにやら緑色のやつもないのだった。
美容室の、予約した時間が迫る。
そのまま電車に乗ることにした。
電車の中で手が使えないのは、なんとつらいものか。
つり革が、つかめない。
本が、読めない。
ケータイの意味が、ない。
頭も、かけない。
シートにべとーって塗りたくる、勇気もない。
ヘリから垂れるはしごにも、届かない。
理想の自分にあとちょっとで、届かない。
お金も、ない。
ここぞというときに、ふでばこに消しゴムがない。
入れたはずの水着が、ない。
希望もない。
水筒に、一滴の水もない。
そして・・・
★最後のオチ的なヤツは、下の5つから、自由にひとつだけ選ぼう!!。
1.もう、どうにも止まらない。
2.ラララ人生、アン、ドゥ、トロワ。
3.このあいだ「幹てつや」って言葉をテレビで聞いたときは、うれしかったな。
4.最近23時過ぎからの10chのゆるさが、なんだか楽しみでね。
5.あの山の方から、光が、びゅーっと、ね。びゅーっと、来たんですよ。
これまたしかたがないので、手のにおいをかいだり「自転車の油で、どれほど指紋が残るか」で遊ぶしかなかった。
結局、行く駅の全てのトイレには奇跡の水グリーンウォーターは存在せず、美容室の時間も過ぎてしまった。
よって、時間を2時間ずらしてもらうことになり、その分、さらに僕は彷徨しなくてはならなくなったのだ。
手は汚れたまま。
犯罪者の気分であるが、このように手が真っ黒に汚れる犯罪というのは、せいぜい「銭湯の煙突にチン入者あらわる!!」のようなものくらいだろう。
続かなかった、俺の書きたい気持ち!!。
続く。
洗手
人間には、やってはいけない事がある。
「人殺し」
いけないね。
何がいけないって「殺し」だ。
これがなければ「人」となり、なんかこうして一文字で見ると堂々としてていいな、とかなり、いけなくない事となる。
やってはいけない。
同様にオトナ限定で、やってはいけないコトがある。
例えば「ソフトクリームを鼻につける」というのは、ある程度の属性を持っているオトナでない限り、やってはいけないことである。
「大勢で同じ言葉を大声でゆっくり言う。」という項目も、常連。
オトナたちを呼んできて「林間学校」と言ってもらえば、よく分かるはずだ。
また、少々意外かもしれないが「バナナの皮でスベる」というのも、かなり上位をキープし続ける要素である。
だが「オトナが、やってはいけないコト」で、そのやってはいけないぶりから永久欠番となっているものあることをご存知だろうか。
「手が汚れていること」である。
そんなに重要じゃないじゃん、と思われるかもしれないが、そんなことはない。
絶対、オトナはやっちゃだめ。
もしやっちゃってたら、いち早く洗うべきだ。
また「俺の手は、呪われた血でべったりだ・・・。」とかいうのの比喩ではなく、本当に汚れていることである。
考えてもらいたい。
「電車の中で、黒く汚れた手を嗅ぐオトナ男性。」
助手が来ないので、近くにいたおじいちゃんに胴体切断のマジックを手伝ってもらうくらいの危険度である。
これは、やってはいけない。
明日に続け、俺の書きたい気持ち!!。
続く。
変化に、ざわめく。
台風で雨風が強い。
そんなときに川の様子を見に行く人がいる。
危険なので行ってはだめだ。
でも、川の近くに住んでいる人の場合、川の水位が上昇していくことは気になって仕方ないはずだ。
やはり、水位を確認しに川へ向かって事故にあってしまったりするのだろうか。
台風は去った。やたら晴れている。
すると、人々は川を見に来る。
住んでいる場所に関係なく、来る。
まだ川の水位は下がっておらず、危険だというのに。
この行動は多くの場合「興味本位で」という言葉で片付けられる。
なぜ台風後の川に興味を持ってしまうのだろうか。
おそらくそれは「いつもと違う感じになった」からだ。
いくら川辺が荒れ果てて、かなりのスペクタクルになっていたとしても、それがいつもの風景であるなら、人は興味など持たない。
いつもと違ってしまったから、興味を持つのだ。
量子力学では、例えばある電子を観察したい場合、それに他の電子などをぶつけなくてはならないという。
観察対象を変化させなくては測定ができないのだ。
あるタンパク質の構成成分を調べる際、そのタンパク質をぶち壊す方法がある。
これも、上記と同じことが言える。
注目している遺伝子を変化させて、オリジナルとの差異を見てみる、という実験もあるようだ。
これも、しかり。
世の中には、変化がおきないと分からないものがあるようだ。
今までの風景が変化してしまったことにより、それがどんな意味を持っていたのかを知るのである。
そして、その意味を再び確認するには、ほどほどの時間を要する。
もちろんそれは理系の話に限ったことではない。
例えば、国語の教科書などで見られる「森鴎外」と「石川啄木」の写真が実は間違っていて、本当は逆でした、となったとする。
両者の生き様的なことは色々あるだろうが、よく知らない。
よって、これはあくまで個人的な、両者の写真イメージからの推測になってしまうが、
・森鴎外:自分の納得できる濃さになるまで、弟子に硯を3日ほどコスコスさせていそう。
・石川啄木:下手するとシルバニアファミリーの動物達の先生として、教壇に立っていそう。
という感じ。
そして、この「写真が違っていました事件」で、我々は驚愕する。
あの写真(七:三側)の無垢っぷりさと「森鴎外」の名の重々しさの違いはなんだろうか。
あの写真(ひげ側)の人物が夢の世界の住人だったのだろうか。動物達はひげを恐れなかっただろうか。
森鴎外は死に際、「馬鹿馬鹿しい・・・」と口にしたらしい。
上記の「写真違いました事件」によって、森鴎外と石川啄木の写真イメージが融合し、混乱を招く。
そして「森鴎外はシルバニアファミリーの動物達に「馬鹿馬鹿しい・・・」と言い残しこの世を去った。」という珍想像ができたりする。
僕は、馬と鹿の気持ちを考えると忍びない。
こんなとき、やっと我々は「森鴎外の名と森鴎外の写真(本物の方)が、どれほどの意味を持っていたのか」をはじめて知ることができる。
変化がないと、森鴎外と森鴎外の写真のつながりのありがたさは、分からない。
台風のあと、川に来る人は、少しだけそんな感じのものを得るのかもしれない。
質問と回答 2
【あらすじ】
深夜に職務質問を受けたとき、人には、犯罪ではないにしても何らかの理由で本当のことを言いたくないときがある。
ので、「職務質問への模範解答」を考えてみた。
★こんなときは、こんな回答で切り抜けよう。警官もなっとくの面構え!!。
Q「こんな夜中に、どちらまで?。」
A「ゲームボーイで不思議のダンジョンやってたら、電池がなくなっちゃって。アルカリ電池を、ちょっと。」
A「はつ子が、最後にプリンを食べたいと言い出しまして。あ、はつ子というのは私の妻でして、もうかれこれ15年、寝たきりなんです。この自(この辺で警官から止められる予定)。」
A「19時ごろ散歩したときに、右肩のねじが外れたらしくて。それを探しに。」
A「ずっと「フロンターレ」の意味を知っている人を探していたんですが、ついさっき、知ってるという人から連絡があったんです。失礼します。」
A「今読んでる漫画なんですけど、1巻の次に3巻買っちゃって。3巻でもいいから読みたいんですけど、人生あともどりはできませんから。」
A「見てください。ペダルのところにカンナが装着されているんです。今、これでかつおぶしを削り中なんで、行き先と聞かれると・・・。」
A「朝も同じ道順を通ったんですが、夜に同じルートを通ったら、朝にワープできるんじゃないかと思いまして。」
A「あぁ、エアロバイクのやつ、やっと念願かなって車輪がついたんだ!!。進んでたことに気づかなかった!!。」
これらの傾向からわかることは、とりあえず探し物する姿勢が重要そうだ、という点。
ちなみに、自転車のかごに枕を入れておけば、「寝る場所を探しています。」という解答も可だね。
おわり。
質問と回答
夜中にヘンな帽子をかぶって、ブレーキゆる効きの自転車に乗っていればあやしまれるのは当然なのである。
久しぶりの職務質問。
「ちょっとすいませーん。」
自転車で坂道を滑走する僕の背後から、こんなゆる声が聞こえてきた。
0時を過ぎている。
こんな時間に声をかけてくるのは、霊だ。
この道は墓場に隣接している。
間違いない。
とりあえず無視していたが、そこは霊。
いとも簡単に捕獲されてしまった。
「いや?、こんな時間にどちらへ?」と言う霊に対し、僕はしどろもどろ。
このときの僕は、すごくマズイ状況にあったのだ。
・ジーパンを直に身につけ、ノーパンの開放感を味わっていた。
・右のハンドルにかかった手さげカバンに、アブノーマルなDVDが。
・リュックに「パトレイバー」のフィギュアが。
・どうなるかの試しに、サドルのついていない自転車に乗っていた。
・胸元のポケットに詩集が。
なかなかアツいプロファイルのやつが現れたが、僕ではない。
まだこんなんだったらよかった。
そのときの僕は「田んぼのハスの花の具合を見に行く」途中だったのだ。
その頃、とにかくハスの感じが「もう少しです」状態となっており、見に行っていたのだ。
けど、深夜に自転車に乗っている理由がこれではいけない。
おそらく警官は、学校にて「深夜にハスの花を見るとか言うやつは、撃て。」と教わっているはずだ。
いけね霊で通していたんだったまぁいいか。
僕は「えーまー、帰り途中です。」みたいなことを言った。
すると警官は「いいひとそうだし、大丈夫ですね」と言った。
わ、わかるんだ数分で!!。
・・・
と、このように職務質問プロトコルどおりの感ありにて、僕はリリースされた。
それからの僕は「ハスの花を見に行く」時に職務質問を受けたら、どのように解答すればよいのか、考えっぱなしだった。
次回、職務質問への模範解答を考えてみる。