「愛想笑い」は、いつ誕生したのだろうか。
わかることは、「笑い」よりも後に誕生したであろう事と、やられたらむなくそ悪いということだけだ。
・・・
おそらく、かなり昔、人々は「とりあえず笑っとけ!!」みたいな文化を持っていたに違いない。
最初は些細なことだった。
少しの失敗をはぐらかすべく、微笑んでみただけだった。
しかし、「笑うこと」が、思いのほか相手の心を和ます効力を持つみたいと思われたため、何かあったときは「笑っとく」というふうになった。
人々は笑い、「テレタビーズ」みたいな世界を築いていたのだ。
ところがある日、「とりあえず笑っといた」妻の不倫相手を石斧で切りつける男が現れた。
彼は、太陽が微笑むような世界に一石を投じた問題児であると同時に、テレタビーズよりは現代社会に近いゾーンに足を踏み入れたパイオニアでもあったわけだ。
しかし、笑っていた人々はただ事ではない。
「笑ったのに切られた。」
「笑っていたのに・・・。」
「切られた人は笑い方が足りなかったんだ。」
しかし一方で、
「笑いは全ての免罪符とはなりえない。」
「笑われて、腹の立つときもあった。」
「笑いたくもないのに、笑うと、無理があるよな。」
といった懐疑派も現れた。
「笑っとく」ことで全てを丸く収まっていた世界に、変化が生じた。
保守派と懐疑派の亀裂は深まる一方だった。
道を歩けば、すぐに保守派と懐疑派が寄ってきて「笑いなさい」、「お前は笑うのか?」みたいなことを言われる。
懐疑派色の強い部落では、本当に笑うときには挙手をし、これこれこういう理由で笑うのだ、と宣誓しなければならなかった。
すごく大変だった。
なので、このような事態を打破するべく、各地の長が呼ばれ、協議が開かれ、その結果「愛想笑い」ができた。
かなりゆるく笑うが、笑わないわけではない。
この、中間的な笑いを生み出すことで、両派に妥協してもらうことにしたのだ。
「愛想笑い」は、そんな歴史的背景をへて誕生し、現在のような「エヘヘ」地位を得た。
生まれはどうであれ、まぁ必要だよね、「エヘヘ」は。
たぶん、これからも「エヘヘ」って言うんだよな、僕は。
なんとなく「愛想笑い」終わり。
※ちなみに、「愛想笑い」を生み出すという妥協案は、かなりうまくいったに違いない。
両派とも、愛想笑いが嫌いだからである。
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こういう系列で本を書けば売れるんじゃない?
それはそうと、
愛想笑い:ホイミ
爆笑:ベホマ
テストに出るよ。
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一人だけ対象である点に、当ブログの限界を見た。