俺の後ろには、立つな。その1

人間、こうも日々をただ過ごしていくと、どうしても「油断する」瞬間というものが出てくる。
ここでいう「油断」とは、別に車に轢かれたり、バイクに轢かれたり、自転車に轢かれたり、セグウェイに惹かれたりするとかいう方面ではない。
例えば、「今年の夏は、はいからバディ」というコピーが、どこからか発信されたとしよう。
はいからバディ。
2007年4月現在において、「来てはいない」言葉だ。
このコピーを受信した人のほとんどは、聞き流してしまうか、「ヘンなコピーだな」と少し思うだけだろう。
しかし、「油断」をしているとそうはいかない。
「えっ。はいからバディ・・・?。・・・よ、良くね・・・?。」
もちろん、上記の「・・・」では、彼は思いのほかいろいろ考えるのである。
「はいからって、今がちょうど寝かせどき?、それとも旬?。」
とか
「はいからな体型って、ちょっと想像できないな・・・。でもその分からなさがコピーとしては人の目をひくかもな・・・。」
とかである。
そして、総合的に「イケる!!」と踏んでしまうのだ。
ところが、結果はそのときの社会、文化にそぐわないものとなる。
彼は「油断」してしまったのだ。
ちょっと前に香水をどうこうする話を書いたが、その時期、僕は油断していた。
「人から花のかおりがするのって、考えてみたらおかしい。」と思ったのである。
外見
:ヒト、女性
:ヒヤシンス
かおり
:同一
ヒヤシンスの香水はないと思うが、こういうことだ。
外見、かおりのみの点を考慮する。
我々男の子がヒヤシンスに対してどきどきしたり、気をひくためにいじわるしないところを見ると、女性に対して意識するのは「外見>かおり」ということになる。
そして、上記の結論が出たあたりで「あぁ、僕は、「油断」していたな・・・。」と気付き、結論は「いいかおりの人は、良い」という事実に露と消えるのだ。
明日があるさ。
続く。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です