ペット百科

休日の朝やっている、5分くらいの番組。
どこかの家の猫とか犬を紹介する。
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最近は、かなりテレビを見なくても生きていけるほどに回復した。
テレビ依存が甚だしかった幼い頃。
なぜ食事をとめ、口を開け放してテレビを見ていられたのか。
逆に言うと見た事ある経験が、少しテレビ依存を抑えた。
それは単に年齢を重ねるという、歩いててもゲームしてても寝てても達成できることなのかもしれない。
それでも気になる番組は多い。
「ペット百科」はもしかしたらこのブログで取り上げたことがあるかもしれない。
確実に見ることは忘れるが、たまたまやっているのを見たら、たいがい面白い。
前見たときの内容は、まとめるとこんな感じだった。
「今、うちには猫が2匹います。前にも飼っていましたが、1匹は家出したり、尿路結石で昨年死んだりしました」
なんか、悲しい情報が多かった。
なぜなんだ。
なぜ家出したり死んだことを5分の番組に盛り込む事があるのだろうか。
やはり理由のひとつは「他人の家のペットの情報」はどうしても希薄になりがちだ、という点である。
ペット、特にねこいぬは、ふれあう事で愛情が生まれるものである。
だからテレビ越しというのは、単に情報を流すくらいしかできないのだろう。
そして番組のスタンス。
そう、「ペット百科」。
その家庭のペット変遷をくまなく紹介することで百科になるのだ。
でもまあ、そんなことよりも考えちゃう事があるよね。
さて残りは何匹でしょう?
評価:★★★★★

見かけの二重星

星新一のショートショートを彷彿とさせるSF漫画。
著 つばな氏
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どこか、ダイエーか何かのスーパーの本屋コーナーで平積みされているのを「見かけ」て、なんか面白そうだなと感じていた。
しかしそのとき、本屋には「おかずクッキング」を探しにきていただけなので、そちらに注力。
なんか気になる漫画があるという印象と「おかずクッキング」を得て、ダイエーを去ったのである。
僕はそれほど本を読まないから「なんか気になる本がある」というのは珍しいし、最近なかった。
そもそも「読んでみたいミステリーベスト10」などというものがあるが、あれは一体なんだろう。
「読んでみたい」わけだから「まだ読んでない」わけで、何をもって「読んでみたい」と思うのかが疑問だった。
思いつくのはまず「表紙」で、確かに最近かわいらしげなアニメ絵が表紙の文庫本も増えたなと。
そしてタイトル。
タイトルだけでこちらがひっくり返ってしまいそうな名書もあったりして、油断はできない。
この辺が「読んでみたい」と言わせるものなのだろうか。
しかし人に言わせると「著名な作家が書いたものだから、読んでみたい」というものもあるのではないか、ということだった。
なるほど。
このことが示すのはもちろんミーハー嗜好どうこうではなく、誰しも「著名でない人の本で、痛い目を見た事がある」ということである。
さて、気になる本があるなあと思いながらも、そのタイトルも著者も全然思い出せなかった。
唯一、著者が3文字だったことだけは覚えていたが、それだけではネットの世界で目的のものを探し出すのには少々足らず、見つからない。
気づくと、僕はダイエーの本屋コーナーへ向かっていたんだ・・・。
SFとしては古今関わらずよく扱われる内容らしい。
しかし、親しみやすい絵がついているだけでずいぶんと変わる。
読みやすいし、面白い表現を見せてくれる。
ショートショートを思い出させるが、ひとつのテーマを物語調により突っ込んでいるのも楽しい。
石黒正数氏の短編の雰囲気と似ているなと思ったら、なんか相識のようすだ。
僕が読む前から気になった理由は、おそらく「見かけの」という言葉だろう。
生物の授業が好きだった僕は「見かけの光合成」という、なんとも腑に落ちない言葉を覚えていた。
「見かけの?」
なんだ見かけのって。
「見かけの男前度」ってのがあったら、それはパーマの具合や背の高さ。
目が二重かどうかであって、真の男前度はそのことを差し引いて考えなくてはならないよ。
そう女学生に、教えてあげてよマイティーチャー。
今のは関係ないが、見かけの光合成能の「失われた方の曲線」。
あるいはバック・トゥ・ザ・フューチャーの何作目かでドクが黒板に書いた2本の現実。
「見かけの」という言葉を見て、片方が点で表現される線がくねくねと交わるさまが思い浮かんだ。
「見かけの光合成能の未来」
ちょっとおもろそうやないか。
それにしてもSFとミステリーの世界は、はまると出て来られないと聞くから怖い。
怖いから寝る。
すこしふしぎ。
評価:★★★★★

スキップ

片足を蹴り出して前方に跳ね、もう片方の足で着地する。
着地の瞬間、こちょこちょっとした何かをし、その片方の足を蹴り出す。
その繰り返しの動作で前に進むこと。
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今、僕はスキップができるだろうか。
この疑問は、もちろん「動作自体は簡単だが、大人がおいそれとそこらで試すわけにはいかない、スキップのポップさ」が根底にある。
試せないのだ。
とにかくどんな関係の相手であれ、人に見られたとなれば逆にその人の弱みをにぎるくらいしか解決法はなく、どちらに転んでも発、人外人生である。
このような事例に対して、ひとつの解決策として「やらざるを得ない状況がやってくる」というものがある。
例えばお焼香。
マナーの範疇ではあるのだが、一方で「いつ必要なときがあっても大丈夫なように、いつも練習しています」というものでもない。
そんななか、来るのだ。
「やらざるを得ない状況」が。
しかし、例え初めてだったとしても、お焼香はそんなすさまじく失敗することはない。
なぜなら、たいてい「前の人」がいるから。
「前の人」に習いさえすれば、「初めてだったので、間違って火のついたやつを坊主の頭に乗せてしまいました」なんてことはなく、滞りなく済む。
そして少しずつ、お焼香を覚えていく、大人の階段のぼる、いつのまにか少女は、となるのである。
そんな理由で、僕は「前の人」になりたい。
「前の人」として、坊主の頭に火のついたやつを乗せれば、次の人もそうするだろうから、結果的に坊主のお経はすっごく早くなる。
木魚もすっごく早く叩く。
そして我慢できなくなって、走る。
「あれは12月ですか」
「いいえ。少なくともスキップとは結びつけることができない、つながりぞこねのオチです」
スキップ、楽しそう。
評価:★★★★★

おしるこ

小豆を水っぽく煮たものに、もちを入れた日本古来のスイーツ。
ひどく甘い。
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数少ないながらも、経験から言うと、どんなに高級な材料を使っていようが、「甘さひかえめ」と銘打っていようが、やたら甘いやつであり、基本ちびちび唾で薄めながら飲むものである。
また、たいがい入っている「もち」の役割が、その無味さで甘さを和らげるためでは、とすら感じる。
どうしてそんなに甘いのか。
しかし考えてみると、単なる小豆の水煮は、あまりおいしくない。
ならば甘いことにとやかく文句を言うこともあるまいか。
さて、甘いのはしょうがないとして、次に考えなくてはならないのが「もちは焼く?」的なことである。
個人的には、焼かれたもちの香ばしさはとても小豆と合うため、できれば焼かれていたい。
しかしもちを焼くのは、金網につくなど、めんどくさい特性を考慮すると避けたいことであり、その点わがままは言わない。
むしろ「もちはそのまま入れて煮て、半分溶けてるくらいがちょうどいいよね」くらい言う。
「もう、夜ご飯もおしるこでいいじゃん」くらい言う。
「水筒に入れてく」くらい言う。
弁当男子か。
甘い。
評価:★★★★★

安土桃山時代

他の時代と比べて、いささかキレの悪い感じのする「安土桃山時代」。
テストでヤマをはるにしても、とりあえず「捨て」のことが多いのではないだろうか。
歴史が苦手な僕にとって、その時代は「なんだか他の時代よりも、やけに短い時期」くらいの印象しかない。
それが冒頭の捨てイメージの由来となっているわけだが、やはり短いなりに日本の歴史にスケジューリングされているところをみると、なにか重要なことが起きたのだろう。
そこで調べてみると、「桃山文化」というものが誕生したらしい。
ちゃんと調べる気は毛頭ないが、ここで気になるのは「文化の誕生」だ。
もちろん、当時の人がそれを確信することはないだろう。
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「あ、今、桃山始まったよ。」
「あ、ほんとだ。」
「こうしちゃいられねぇ!!」
*****
・・・ちょっと、考えにくい。
ただ、なんとなくいい感じになってきた、というのはあっただろう。
*****
「あー、えんがわ、気持ちいいね。」
「んー。」
「なんか最近、いいよね。」
「あ!!。・・・んー。いいよね、確かに。」
*****
まだ、こっちの方が「文化の誕生」な気がする。
いい感じになるのが、ゆるやかなのだ。
ただ、他の時代と比べてやたら短い期間であることを考えると、そのゆるやかさも、本質は急勾配だったろう。
ダンシングな時代を生きた当時の人々、お疲れ様。
ところで、これほど抽象的でいいのか。
僕の安桃イメージ・・・。
他の時代よりも、個性的。
評価:★★★★★

ジャムル・フィン

モビルスーツ。
かっこわるい。
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確か、青緑色した、よく分からない形のモビルスーツで、私情をはさむと、かっこわるい。
ただ、「よく分からない形」というのはしょうがなくて、それはなんだか作り途中だったヤツをとりあーえず実戦に間に合わせました、みたいな背景があるのだ。
そもそもモビルスーツでもなかったっけか。
そんなだから、彼の華奢な手とかは、とってつけ品。
となると、こいつの完成形を見ずして「かっこわるい」というのはなんだか申し訳なく。
でも急造のわりに、変形する能力があったり、拡張性に富んでいたりと、最初は何作る気だったんだとか、メカニックはやるなぁという感じに。
さて、この時点で、メカニックは褒めたが、ジャムル・フィンは褒められていない。
強力なビームが出せるみたいだが、敵メカでかっこわるいという時点で、難しいところなのだ。
しぶいって、便利な言葉。
評価:★★★★★

マイク

声がでかくなる道具。
拡声器のたぐい。
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「大きな音が出せる」というのは一種の力でして、それを人間が「進化」という方向性で獲得しようとする前にマイクが発明されていて、本当によかった。
もう、ホエザルの一歩手前まで来てました、人間。
あ、ホエザルの「ホエ」って、「木工」に見えますね。
ところで、とつぜんマイクを差し出されたとき、私たちは何を言えばいいのでしょう。
「あー、マイク、テスト中」ですか?。
あなたは、マイクの製造元を甘く見すぎていませんか?。
メーカーさんは、ちゃんとした製品を納品しているはずですよ?。
それとも、セッティングしてくれた放送委員たちが、信用できませんか?。
彼らは学校の文化祭などでは「生徒のなかで、唯一演劇に参加しなくてすむ存在」として注目され、一部怠慢な面も見られますが、基本的には礼儀正しい生徒ですよ?。
「ダイナミック、ダイクマ?」
ダイクマのCMのものまねですか?
あなたは、言葉の汎用性というものを甘く見すぎていませんか?。
ダイクマのCMがどれほど市民権を得ているか、考えたことがありますか?。
「ごつん」
お辞儀で頭を下げたとき、額にぶつけますか?。
あなたは、「お辞儀のときにマイクに頭をぶつける」ジョークが広辞苑の「ジョーク」の欄の例として載られそうになったことを知っていますか。
少し、やられすぎているのではないですか。
そして、手に持ったマイクでそのジョークをやるのは、無理がありませんか?。
それが故意でないとしたら、あなたは自分の体を使いこなせていないのではないですか?。
もし、マイクを差し出されたら。
もっと、新しい何かをするべきではないでしょうか。
私は、声を大にして言いたい。
「何をと聞かれても、困りますが!!」
ホエザル。
評価:★★★★★

ルート225

ルート225
 著 志村 貴子(絵) 藤野 千夜(字)
概要
 思春期な姉弟が、やんわりここと違う平行世界へ迷い込み、ご飯を食べたり道を歩いたりする。
 全1巻。
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概要は先ほど挙げたもので、誰もが夢見し、想像しのパラレルワールドな感じ。
※小説、それを原作とした漫画とあり、今回は漫画版を取り上げている。
評価ポイント。
それは姉が終盤で発する一言で、ともに変な世界に来てしまった弟、ダイゴに向けての感想。
「5cmも伸びやがって。」
小説版でもお年頃な彼らの心情やその移り変わりなどが書かれていたけど、漫画版のこのセリフときたら、どうだ。
※多分漫画版のみのセリフだと思うが、原作にも書いてあったら、ごめんなさい。
もちろん、物理的に5cm伸びたこと、だけを表現しようとしたセンテンスではない。
このセリフは「今まで一緒にパラレルワールドに来たと思われるダイゴが、実はまた別の世界のダイゴなのでは?」と読み手に思わせることも、できるだろう。
だが、なによりも、このセリフは「姉と弟の関係の微妙な変化」も示唆している。
前まで頼りなかった弟の成長を目の当たりにし、姉は少なからず困惑するのだ。
これは姉であり、同時に少女である主人公が持つ、あやふやで抵抗性のない心の一面を十分に引き出せていると言える。
そこが重要、と考えるなら、実はこの物語、パラレルワールドとか、かなりどうでもいい。
物語のきっかけとしての役割だけとなる。
日常生活でも十分にそれに匹敵する変化が起きており、そんな世界に対して少女はどうするのか。
それを表す端的なセリフのひとつとして「5cmも伸びやがって。」があるのだ。
って、近所の佐竹さんが言ってました。
僕はうかつにも、全くそんなことを考えずに原作を読んでいたので、この一文を読んだとき「うわー、読んでるとき、うかうかし過ぎてた!!」と少し反省した。
そして、成長期にあまり身長が伸びなかったことに対し、姉に少し申し訳なかったな、思うのだ。
「5cmも伸びやがって。」 あやかりたい。
評価:★★★★★

ウィンナーコーヒー(アイス)

コーヒーの上にホイップクリームみたいのがのっている飲み物。
名前から、ギャグの対象になりやすい。
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コーヒーはうまいが、苦い。
そのジレンマをやさしく解消してくれるクリーム。
ウィンナーコーヒーのえらいとこだ。
さて、今回の評価は「ウィンナーコーヒー(アイス)」。
もちろん、ホットでも評価は高い。
カップに口をつけるとき、暖かく甘いクリームまず最初に。
うめー。
あとは、あなたの思うがまま。
飲みながら「クリーム:コーヒー」の割合を自由に変えられる。
飲み終わりにクリームだけがカップに残らないように注意しながら、あなたは至福のコーヒータイムを満喫することだろう。
僕は、上のような文章を書く人が嫌いだが、おいしいのはおいしい。
では、アイスVer.での評価ポイントは何なのか。
それは氷。
ウィンナーコーヒーをアイスで注文すると、たいていアイスコーヒーの上にホイップクリームがのっているものが登場する。
その層は、以下のとおり。
<上部>
宇宙など
青空
ホイップクリーム

コーヒー
カップの底
テーブル

忍者など
<下部>
僕は、こういう方向性は嫌いだが、重要な「クリーム→氷→コーヒー」は含まれている。
クリームが氷の上にある。
こいつを飲み終えるとどうなるか。
ちょうど、クリーム残りが氷をコーティングしているようになる。
すると、その氷は上品な砂糖菓子のようになるのだ。
それがとてもきれいなのだ。
僕は、こういう終わり方は大嫌いだが、きれいなことはきれいだ。
機会があれば、注目してみてもらいたい。
食べても、おいしくはない
評価:★★★★★

リュック

リュックについては少々、辛口の評価をつける。
多くのリュックの、形が気に食わない。
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日頃から、リュックはがんばっている。
彼らの何がいいといえば、やはり荷物がたくさんあっても両手がふさがらない、という点に尽きる。
その存在は、人間が直立歩行を行うことで獲得した器官の大切さを思い出させる
また、手で持つにはちょっと重いようなものでも、リュック経由であれば、人は背負っていける。
・・・ヒトはこれからもずっと、セオっていける・・・。
さらに、その負担は体の軸からはずれていないため、例えば片手カバンに見られる「片側疲れ」もない。
このようにリュックは、運搬という仕事に対して、すばらしい恩恵を与えている。
しかし、気になることがある。
安定するのだろうか、彼らはたいがい、だるま型をしている。
それは、モノがたくさん詰まっているとき、電車内の乗客の数と人口密度の関係が合わないんじゃないか、というほどになる。
確かにこのようなとき、だるま型は有利に働く。
たくさん入るし、安定する。
しかし、多くの人は、それほどリュックにものを詰めることはなく。
そのためだるま型は、少々邪魔くさい代物となる。
人の背にだらりと垂れているだけだ。
そう考えると、リュックには、もっと背にぴたりとつくような形が求められている。
ノートPCを持って行きたい?。
最小単位は、背中にノートPCが張り付いている状態。
これに、どれほどのものを付加する必要があるか。
もうひとつ。
これを解決するリュックを、僕はもう15年くらい探している。
売られているリュック全て、表側、主に上部、ときどき横に「荷物入れ口」がついている。
これは解せない。
「荷物入れ口」は背中にくる側に、1箇所。
これでいいのだ。
荷物を運ぶための道具であるリュックには、それは「荷物入れ口」が必要だ。
しかし、それを表側につける理由がわからない。
リュックの中が必要なとき、どれほどの人が
「背負いながらリュックを探る」
「相手にとってもらう」
という行為をするだろうか。
これらの行為は「荷物入れ口」が表側にないと難しいところである。
しかし、あんましないでしょ?。
リュックの中が必要なとき。
それはほぼ「リュックを下ろしているとき」と言い換えて差し支えない。
もちろん例外は山のように出るだろうが、どれも「例外」として扱えると確信する。
それらはたいがい、原因が「リュックの荷物入れ口」以外にあるのだ。
ときどき、「荷物入れ口」が全開の人がいるが、あれはリュック業界の怠慢が生んだ、悲劇だ。
財布を盗まれるかもしれない。
ごみを入れられるかもしれない。
指を指されるかもしれない。
虎穴にて入手した虎子が見られてしまうかもしれない。
背中側に入り口があれば、もし全開だったとしても、それが公になることはない。
しかし、販売されているリュックは、表側に入り口があるため、このような危険性が生じる。
せっかくの両手フリー権も、これでは意味がない。
もちろん全開でなくとも、この入り口位置による機能性、特にセキュリティ性の差異は、何気に世界犯罪率の小数点以下くらいのスケールで左右するに違いない。
背中側に1箇所だけ、入れ口。
表側は防刃。
※リュック表面の、ポッケタイプのものであれば、表面に「荷物入れ口」があってもよい。
そこに入れるのはティッシュなどであり、使用頻度が高く、一緒の誰かにとってもらうという心算も無駄ではないからだ。
※僕としては、このポッケもいらんと考えている。
あと、なぜリュックの素材は恐竜の肌みたいなのが多いんだ、や、装飾過多な面で、僕は多くのリュックを好かない。
おのずと、これからのリュックが目指すべき姿が見えてきた。
・厚さ10cm未満
・縦×横 50×30くらい
・「荷物入れ口」は背中に。
こういうの、ないかしら・・・。
昨今における活躍?かっこ悪い=
評価:★★★★★