口に出して言いたくなる言葉。

運転中の車に突然、屋根から「かん」という乾いた音が聞こえたので、それでそうか。
今はどんぐりのシーズンなのだ。

気づいている人もいるだろうが、どんぐりは大人が拾っても多少はテンションが上がるくらい、美しいものだ。
早速拾いに行こうと思うが、そのときは夕暮れが迫っていて、もうどんぐり拾いをそんな中でしたら絵画に収めても遜色ない。
大人が拾っているところ以外は遜色ない。
そのくらいに合うシーズンになってきている。

そういうことで、一方では大人がどんぐり拾いしてはいけないという美学が、おそらく大人の多くにはあり、それは僕も所有しているため、僕はどんぐりの浅瀬を歩き過ぎて、そのまま散歩コースの神社へ行くことにした。

神社のことはよく知らないのだが、誰もいない神社の整然さが好きだ。
数カ所に集められたイチョウの黄色い葉が、夕方の気温に対して明け方は妙に寒いこの季節のことを思い出させ、その流れで色彩の少なくなった川辺でも眺めようかと神社下の水路を見下ろすと、湛えているはずの水が一滴もない。

こないだの雨で、何かでかいものが堰き止めてしまったのだろう。

せっかくなのでいつもは川底にあるはずのコンクリートを歩道にして歩く。
こういうことをちゃんとやっておくと、ここがまた川底に戻った時も「あそこを歩いた時、こんな感じだったなあ」と思い出されて大変良いのである。

そのまま川沿いの方に行くと、素晴らしい紅葉を見せるイチョウの木があるが、これはまだ緑色で落葉もほとんどない。
神社で見た黄色い落葉は、たぶん神社ということと夕暮れ、その雰囲気で落ちてくれたのだろう。

帰る時、避けることかなわずどんぐりを踏むことになる道に差し掛かった時、「ムッ」のことを思い出した。
以前も触れた気がするが「ムッ」はどんぐりを潰して粉末にし、寒天みたくした食べ物で、確かどんぐりを潰す。

足元にムッがたくさんできているんじゃないかと思うと同時に、それを作るために大人がどんぐりを拾うのはそんなにおかしなことじゃなさそうだということで、先ほどの美学は修正する必要があるかもしれない。

ぷちぷちとムッを作って進んでいくと、踏むことで作る食材というものはどのくらいあるのだろうと気になってきた。

ぶどう、うどん。
これしか思いつかない。

そういえば、この実を踏む感触、葉の色。
ぎんなんでも、何か潰して作るものがあれば足踏みのラインナップに加えられたのに。

というか、もしかしてぎんなんを潰して、なんか面白い食材できるんじゃないか?。
ムムッ!、産業スパイの気配!。

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