竹馬の友

唐突に「竹馬の友」という言葉が浮かんだ。
小さい頃に遊んだ友達という意味だったと思う。
しかし気になったのは「竹馬」が複数人で遊ぶものかどうかという点だった。
けんか竹馬や、競争という遊びもできるだろうか。
しかしそれらの考えをもってしても、基本的に竹馬は一人一台だ。
竹馬一台に何人乗れるか。
バンブーダンス。
竹馬一台でもイケる遊びもありそうだが、もはや竹馬ではない。
「竹馬の友」
一台の竹馬を奪い合った仲というのも、大人になったらいい思い出だろう。
「お前んとこの吽形、ちゃんと高枝切りばさみと一緒に角に置いてあるよ」
ちゃんととはなんだ、ちゃんととは。

10002時間

【昨日からの続き】
人は10000時間費やすと、なんでもプロになれるとか。
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先日は「神社に住んでいれば初詣が10000時間達成できる」「アキレス腱をゆっっっっくり伸ばせばプロになれる」だの言っていたが、腑に落ちない気持ちで数日を過ごしてしまった。
なぜか。
それは単純に「本当に10000時間やれば、プロなのか」という点が気になり、何か足らない。
おそらく10000時間というのは必要だが十分ではない。
あともうひと観点くらいの目安が必要なのではないか。
例えば回数だ。
「初詣プロは100回訪問かつ10000時間を費やすこと」
一気にハクがつき、かつ1回あたりの時間も自ずと判明し、神社に住む、だののずるはできなくなる。
かなり計算してやらないと、寿命を迎えてしまうところが、プロたる難しいところだろう。
速度はどうか。
「アキレス腱伸ばしプロは10000時間かつ伸ばしたあとの徒競走で3位以内」
光度は?
「乾拭きプロは10000時間かつ床がピッカピカ」
どれも、より濃密に時間を費やした感が出て、いいじゃないか。
やや、プロというよりはギネスな感じがするが。
となると次は「ギネスはプロか」を考えねばならず、実は結構飽きて久しい。

10001時間

【昨日からの続き】
人は10000時間費やすと、なんでもプロになれるとか。
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前回は寝るプロのこととかを書いたが、一方でこんなことも気になった。
「人はあくびプロになれない」
あくびにかなり自信がある人がいるかもしれないが、冒頭の理屈からすると、どうしてもプロ級にはなれない気がする。
すなわち、人生において、あくび総計時間が1200日になる人はいないのではないかということだ。
ちゃんと計算はしていないが、もしいるのだとしたら、それはどちらかというと病気。
先天的な何かが怪しく、言い換えれば「天才」。
あくびの天才である。
「人はアキレス腱伸ばしプロになれない」
これは多少説明が必要だろうが、例えば例のポーズで腰に手をかけ、アキレス腱を伸ばしたとする。
これをずっとやっていれば、1200日でプロになれそうだが、残念。
最初の数分でアキレス腱はちゃんと伸びてしまうため、その後の1日の大部分と1199日は「それがいつもの姿勢」となり、アキレス腱伸ばしではない。
同様の考えでは「初詣プロ」があり、これは吉田戦車の漫画にもあった「2回目以降はただのもうで」。
人は1年に1回しか「初詣」ができず、だいたい80日だけだ。
さらに、1日ずっと初詣ということもないだろうから、その時間はさらに減り、結果プロにはなれない。
ただし、これには考えるところがあり、それは「初詣は日をまたげるか」という点。
もしできるのなら神社境内にかなり長く滞在する人。
例えば住んでいる人は、1月1日から出かける時まで、初詣が持続している。
これなら、人によっては1200日以上、初詣を嗜んでいると考えても良さそうで、初詣のプロ。
なんか縁起良さそう。
ところがこれがOKならば、先ほどのアキレス腱伸ばしも、ひどく時間をかけないと伸びないくらい硬い腱。
あるいは「本当に伸ばしてんの?」というくらい直立だが、少しだけ伸ばしているのを持続。
外科的な手術でひどく伸びるようにした。
これらのプロ根性が発動してしまうと、まさかの「アキレス腱伸ばしプロ」も誕生しうる。
ふくろはぎに「アンメルツヨコヨコ」のラベル。
スポンサーに小林製薬がついたのだ。
やるなあ、小林製薬。

10000時間

先日、飲んでいると隣のお客さんとぽろぽろ話すようになり、こんなことを聞くことになった。
「なにごとも、10000時間やればプロ級になれる」
手練れになるにはそのくらい覚悟を持ってやるとよい、などの比喩的表現なのかもしれないが、さてそれは何日くらいだろうと24で割り、400日くらい。
1年と少しでプロになれるのかーとつぶやくと「さすがに1日全部を費やせないでしょう」。
そうだ、確かに寝なくてはいけないし「生活的事務作業」もある。
せいぜい1日の1/3、8時間がいいところなのかもしれない。
よって、プロになるには1200日超、必要なことがわかった。
それにしても気になるのは「寝プロ」のことで、上記のとおりだと我々は生後1200日超にして、寝ることに関してはプロになれている。
いや、もっと長く寝ている期間も多いだろうから、その期間はさらに短いはず。
しかし、承知のように、例えば成人間の話題の1割くらいは「寝不足だわ」であり、プロだったはずの彼らはどこかで道を外れてしまった。
どうやら「寝プロ」には数種類あり、大きく「育つための寝」と「休息のための寝」と分かれるのだろう。
「呼吸プロ」「生きプロ」などの不変的なものと違い、片方ばかりを洗練してしまうと、もう片方が未熟になってしまうのだ。
寝不足の人は、おそらくまだ「育つための寝」をしてしまっていて、本来は休息したいのに、その寝ができていないのだ。
そして「休息のための寝」が総計1200日になったとき、そこが人の寿命なのだろう。
などと言うつもりは毛頭ないが、次回もちょい続ける。

献身

今ちょうどテレビを見ていると、カツオが捌かれていた。
レポーターさんは「これ、何人前くらいになるんですか」と質問。
50人前くらい、刺身がとれるそうだ。
この情報は、もっぱら人間側の都合として有用だが、カツオとしてはどうとらえればいいのか。
「俺からは50人前の刺身がとれるのか」
このカツオが体格自慢だったり、宮沢賢治だったなら、心配の余地はないが、ともかく50人前のことがカツオの成仏に働いてくれたら、と思う。

残り物

もし既にどこかで触れていたら申し訳ないのだが、「キメラの余った方」で何ができるかを考えていたことがあった。
こないだ、数分。
というのも、どうしても胴体ばかりなのである。
確か、キメラは顔がライオンとヤギと竜で、胴体がライオンか何か、尻尾が蛇の頭の方というのがそこそこ有名な姿。
それに対しての余りとなると、ヤギの胴体と竜の胴体、ライオンと蛇の尻尾。
ケパブはどうにかできそうだ。
とにかく考えた人がいけないのは、「とりあえず強くしてみました」精神。
オールレンジに対応できるよう、前後左右に顔を配置したい気もわかる。
確かに混ぜれば強いのだろうが、しかしちょっと節操ない。
今回のように、残り物の悲しさを考えれば、一つくらいはそちらに顔を残しておいて欲しかった。
そうすれば、それでも難しいが「蛇の顔にヤギと竜の胴体」がぎりぎりできたのに。
と、ここで気づいたのが「ライオンは尻尾以外、ほぼ全部入っていそう」という点と「余り物キメラにおいて、ライオンの尻尾はヤギと竜、どちらにつけた方がいいのか」ということだ。
前者は簡単。
ライオンが、強いことには外せないことを示しているから、褒められるべきだ。
特に、伝説の竜を差し置いての胴体採用は特筆に値するじゃないか。
後者の「残り物キメラ」のほうは難しい。
手に持って鞭にすることを考えたが、少なくともヤギの手で鞭は持てなさそうだ。
「蛇の頭」が残っていなかった場合、もう頭の部分にライオンの尻尾を持ってくるしかないが、それでは弱そうだ。
いや、少し怖いか。
確かに混沌とした感じが怖いだろうが、それでも大概考えるのは、彼にとって頭隠して尻隠さずという諺はどう振る舞うべきものなのか、ということだろう。

かまくら

「いざかまくら」と聞いて、外出していた人が早く暖をとりたい事であると言われても、それをそのまま信じるほど夢見がちではないが、実はその意味。
特に由来や背景はほとんど知らない。
知らないといえば、ただいまボケたかまくらについてもよく知らず、入った事もなく、ちゃんと暖がとれるのかという事もわからず。
こうわからない事だらけでは、もうなんでかまくらの話題を持ってきたのかと考えてみると、理由はなくただメモに「いざかまくら」と書いてあっただけで、これは考えてみるとブログのネタにすることではなく、何か急ぎの用のメモだったのではないかと余計な心配をも生み出させるかまくらというのは、そういえば大仏でおなじみなんでしたっけ。