僕らの29200日間戦争

唐突に「僕らの七日間戦争」の曲が聞きたくなってきた。
ずいぶん昔の映画だが、結構有名。
曲も、聞いたらなんか知ってるという、ジェネレーションギャップを埋める手段の一つとして、浸透はしていない。
あまり内容を覚えていないのでナニなのだが、とにかく「学校の生徒が厳しい校則や縛りに反抗し戦ったりするが、最後は花火を上げていい感じに終わる」映画だった。
そしてその反抗の最たる「廃墟に警官だか自衛隊かが侵入するシーン」で、特に印象深いことが起きる。
侵入を阻止するため、くぎみたいなものを床板に張り付けているのだが、まんまと侵入者はそれを踏み、倒れこんでしまうのである。
シーンとしては「学生が仕掛けた罠に、青春の敵たる大人が引っかかりました」くらいの意味なのだろう。
しかし映像からして、釘の乱立したところに倒れこんだ侵入者はひどい傷を負ったはずだ。
僕はこの映画を最初見た時から、あの人は大丈夫だろうかと気になっている。
もちろん大丈夫なのだが、あの「釘に倒れこむシーン」の心配さは半ばトラウマみたいなことになっている。
ほぼアイアンメイデンじゃないか。
今、アイアンメイデンが「アイアン名電」になってしまい、このパソコンが鉄の処女に慣れていないことがわかった。
ともかくちょっと衝撃的な映像なのだ、「釘に倒れこむシーン」は。
今なら確実に炎上する。
「厳しい校則、ルールに反抗した青年たちが自分の居場所を勝ち取るため、立ち上がる」という表現ではなく、「補導するために突入した捜査員を負傷させた」籠城犯、と今ではなるだろう。
いくら最後に花火を上げたとしても、「あらきれい。子供たちはこれが見せたかったのね」という感じでは終わらない。
「花火を上げて、さらに炎上」。
これはいらないか。
最近はよくネットの世界で「安易な公表」「行き過ぎた制裁」という話をよく聞く。
今「僕らの七日間戦争」を思い出したとき、その評価は当時のものとはかなり異なるものになるかもしれない。
常識や文化の意味が、そう長くない期間でもコロコロ変わるのはよく知られているが、今は「戦争」という絶対値の極めて高い素材すら、そうなのだろうか。
意味どころか、本質すら変わるのだろうか。
ちょうど今、変えているのかもしれない。
やだ今日の内容、ちょっと社会派。
この手の話題に勧善懲悪なんて見いだせないが、ひとつの方法として「登場したもののなかで、完全無敵、善なるもの」をあえて悪役にあてがうことで、全体がまとまるという考え方がある。
花火、お前が悪い。

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