ポンチョ

日本人にとってはどうも抜けた感じだ、ポンチョという言葉は。
しかし、なかなか便利なところもあって、最近よく着ている。
まず、袖に相当する部分がなく手を外に出しにくいため、日常生活の多くの動きを制限される。
少なくとも鍛錬に時間を要する。
この点は、便利ではない。
そしてあまり着ている人を見ない。
なんかだらしなく見える。
これも便利な点とは離れているか。
あれ、あんましないな便利な点。
僕が便利だと思う唯一無二のことは、「手の動作がばれない」である。
これはポンチョがマントのような構造だから、例えばポンチョの中で上着のボタンを開けようと、あやとりしようと、寒さを凌ぐために腕組みしようと、汗の具合を確認するため脇に手を入れようと、外見では気付かれないのである。
いや、少しポンチョがこんもりするかも知れないが、少なくとも「自分今脇に手を入れてます」を全面的に押し出さなくてすむ。
これはいい。
こないだ助かったのが、たまたまその日は「勝手にチャックが開いてしまうズボン」を履いていたのだが、計3回、誰にも気付かれる事なく、ポンチョの中でチャックをクローズする事に成功した。
もちろん、これはクローズの回数であって、「チャックが開いているかどうかを確認するため、股間に手を当てる」動作も含めると、なんて多くの「普通やっていては恥ずかしい事」を気付かれる事なく行えたか。
素晴らしいの一言に尽きる。
これが僕のポンチョに対する便利な点の話である。
ただ、もう一つ何か挙げるとすれば、「ポンチョ着たガウチョがガスパチョ飲んでてほしいな」って思ったりする。
なんかずるいな、チョは。

十一戒

何だか朝が寒い。
寝るときは半裸なので、まずそれをどうにかしろという向きもある。
しかし何かに負けてはならないという人間の根源的な本能のため、毎朝布団から出られなくなっている日々である。
ここで気になるのが僕の布団事情なのだが、3枚である。
内訳は羽毛布団的なやつの下に、毛布が2枚。
これがオーソドックスなパターンなのか、国民の支持を得られるスタイルなのか。
よく分からないが、とにかくそうである。
ところで、実は朝寒いのには理由がある。
半裸の件は既に触れたが、それ以外に「毛布が左右にきれいに寄せられている」のである。
状況としては左にふんわりタイプの毛布、右に薄いアシストタイプの毛布。
それぞれが寄ってしまって、体に掛かっていない。
最近の寒さに羽毛布団一枚では太刀打ちできない。
羽毛布団は暖かいが、隙間ができやすい。
大きく暖かい羽毛布団。
その隙間を埋める毛布。
誠に理にかなった連携である。
連携の話は置いておいて、毎朝この残念な毛布配置転換が起きている。
僕はこの現象を、例の海割りから連想して「モーセ」と呼ぶ事にしている。
今朝もモーセが起きた。
なぜなんだ。
十戒に「寝相を良くする」など、何か寝相を律する何かが書いてあっただろうか。
半裸か。
半裸が肉欲的な、何かか。
ともかく、朝のモーセはなぜ起きてしまうのか。
ついでに、「モーセ」なのか「モーゼ」なのか、あるいは日本語だと発音しづらい「セ」なのか。
分からない事が多すぎる。