んーますらお。

少々昔の話になるのだが、いわゆる亭主関白。
お父さんが口にするのは「めし、ふろ、ねる」もしくは「ふろ、めし、ねる」であって、あとはアルコールと大気、リップクリームくらいだった。
これが「ねる、めし、ふろ」だとちょっと夫婦の生活環がちゃんとなってない。
あるいは「ねる、ねる、ねる」だと、すっごく納豆が糸ひきそうだ。
それはさておき、この亭主関白黄金律「めし、ふろ、ねる」に、新たに追加するとしたら何だろうという話だ。
ほんと、何だろう。
何だろうね。
わかんないや。
もうぜんぜんわかんない。
「かね」
わかんないままでよかったのになって思う。
「めし、ふろ、かね、ねる」
居直り強盗か。
いや、居直りの意味が違うな。
あるいは女の子に貢いでもらっている身か。
でも、お金もらった後はどこに出かけることもなく寝るんだ。
んーますらお。
一方で、「見ざる、言わざる、聞かざる」換算もやってみよう。
「食わず、洗わず、寝ず」
清貧と考えるにはあまりにも「洗わず」が気になる。
病気。
そこはなとなく漂う浪人感。
ということは「めし、ふろ、ねる」は病気じゃない。
むしろ健康だ。
やったね!!。

惑わし系

「ギュルヴィたぶらかし」という話をご存知だろうか。
調べてみると、昔の詩の本であるらしく、北欧神話のことなどが書かれているらしい。
しかしここは「たぶらかし」だ。
何かポケモンの技を彷彿とさせるそれは、日常生活ではあまり使わない。
「隣の奥さん、また不倫していたんですって」
「まあ、たぶらかしだわね」
しかし、こうするとどうだろう。
「隣の奥さん、また不倫していたんですって」
「まあ、妖怪たぶらかしだわね」
どうにもならないが昔、吉田戦車の漫画で、泣いている赤ちゃんを「泣き赤子」と妖怪風に呼ぶオール5少年がいた。
そう、「たぶらかし」はポケモンの技でありそうな上に、妖怪っぽいのだ。
なぜ、そんな言葉で「ギュルヴィたぶらかし」を表現してしまったのだろうか。
ギュルヴィが「妖怪たぶらかし」にたぶらかされたのだろうか。
それともギュルヴィが「妖怪たぶらかし」なのだろうか。
ギュルヴィが進化すると虫タイプの技「たぶらかし」を覚えるのだろうか。
僕はギュルヴィに、たぶらかせられっぱなしだ。
言いにくいな、たぶらかせられっぱなし。

Aボタンの実行力

先日購入した「王様と魔王と7人の姫君たち」というゲームがおもしろい。
主人公の王様を動かし、そこらの人に話しかける。
するとその人を連れてまわせる。
人がごちゃごちゃしているのが楽しい。
ただし気になるところがあって、それはまさに、人に話しかけるとき。
話しかけるために◯ボタンを押すのだが、僕は複数押してしまう。
それは「ここなら話しかけられるかな?」という距離がちゃんとわかっていないため、移動しながら◯ボタンをぽちぽち押すことでスムーズに話しかける。
さながら歩きながらティッシュを配る、攻めティッシュ配りのようなスタンスで臨んでいる。
しかしどうしたことか。
このゲームでは◯ボタンは剣を振るという動作も兼ねているため、人に対してこの王様は「話を聞いたのち、剣を振る」という暴君めいた行動をとることになるのである。
暴君とは違う気もする。
「罪をあらいざらい白状させたのち、やっぱり断罪する」
そんな感じだ。
そういえばドラゴンクエストでも「はなす」と「たたかう」その他はAボタンで行った気がする。
もちろん、この話での◯ボタンなりAボタンなりは決定を示すキーであるわけだが、見方を変えれば「話しかけるそぶりで斬りかかる」「話すそぶりで戦う」ということをやっているかもしれない。
そんなことはないって?。
そうか。
そうか。

緊急通報

「お天気雨」というのはこう、昔から人の心をとらえて話さなかったフシがある。
日本では「狐の嫁入り」とされ、太陽が出ているのに雨が降っているのを特異としていたし、調べてみると他の国でも動物は違えど似たような発想で、同様に特異。
お天気雨はとにかく、変なことだと思われていたようす。
確かに変だ。
太陽が出ているのに、雨が降っている。
それは皆既日食などのビッグ変に比べたら頻度も高く、より親しまれやすい変だったろう。
僕は昔からお天気雨が好きで、夏の豪雨の後などにはそれを期待に外に出てみたりする。
実家の近くには林があって、日に照らされる雨だれが葉にたくさんついているのがすごくきれいだった事を思い出す。
先日お天気雨が発生したので、雨の中を自転車でうろつくことにした。
季節柄新緑が辺りを覆っていることもあり、辺りは輝く緑色で目も開けられないほど。
ことわることはないがそれはうそで、そこそこだ。
そこそこの緑だ。
どちらにせよきれいなことに変わりはなく、坂を自転車で下っていく。
下りきったところで、虹が出ているのに気づく。
お天気雨はその性質上、虹も出やすい気がする。
しかもその虹は2重で、外側に薄くもうひとつ認められる。
雨なものだからカメラなんて持ってきていない。
僕はポケットから携帯電話を取り出すと、その光度の低い画面を凝視した。
パターンパスワードと「緊急通報ボタン」。
どうなんだろう。
緊急通報ボタンは、ちゃんとこういうときの緊急通報先へとつないでくれるのだろうか。
「おまわりさん、大変です」
「どうしました?」
「虹です。虹が2重に出てるんです」
「えーと、あー、ちょっとまず、場所をー」
「逆探知しようとしてる!!」
なんか台無しにしたくなったので記載。

浮く能力

【背景】
ミシシッピニオイガメを飼っている。
=====
かめを飼うことに決めたのち、どこで飼うかは結構迷った。
我が家で「水族館」と呼ばれている某所の熱帯魚屋さんは水族館の名に恥じない敷地で、熱帯魚の他にも爬虫類両生類、鳥類やほ乳類と、足らない物を挙げた方が早いのではないかという品揃えだ。
しかし、久しぶりにそこに行ってみたところ、少し規模が縮小し、かめもいたが昔よりはいなかった。
悲しいかぎりである。
だが水槽周りの機材も多く、今後もお世話になりそうな予感。
あと2カ所、かめを扱っている店を発見していたが、ここは家に近い方で飼うのがのちのちいいのではないか。
そんな理由から某ペットショップで購入したのである。
その店はときどきタガメが置いてあったりもし、目の肥やしとして十分な価値を持つ。
また、でかいミールワーム(いもむし様)もいて、うわー感も楽しめる。
この店で気になっているものがひとつあった。
金魚や上記ミールワーム、コオロギなどの「えさ関連」コーナーのすみに、「ウキガエル」とラベルされた水槽が隠されるように置いてあるのだ。
そして一度だけ、水の張られたそれに1cmくらいのカエルがつまらなそうに浮いているのを見た事がある。
えさなのだろう。
何か大型の魚類、アロワナなどのえさなのだろう。
確かアロワナは、水槽の下に沈む餌ばかり与えると、目つきが下ばかり見るようになるという。
それを考えても、「ウキガエル」はえさだ。
しかしどうなのだろう。
あまりにかわいそうな名前だ。
浮くから「ウキガエル」。
しかもご丁寧に浮くのである。
仕方ないのだが、なんとも悲しい感じだ。
おそらく本人達もそれほど重視していないだろう「浮く能力」。
それがこんなことになるなんて。
たぶん、仕方なく浮いているのだろう。
その、ウキガエルのいる水槽を揺らしてみたら、彼らは浮きっぱなしだったことを思い出した。

西町

うそ旅のスタンスについて
「西町前」
広島県三原市の西町には謎のスローガンをうたったモニュメントがあると聞いている。
それはバス停からさほど遠くない広場に立っていた。
「あなたが紅茶を飲む時、角砂糖は2個である事を私は知っている。西町」
結構長い文章で、モニュメントもかなり巨大に見える。
しかしこれは一体何を意味しているのだろう。
興味を持った僕は近くにいた、「第一村人」と書かれた名札を付けたおじいさんに聞いてみた。
あれってどういう意味なんですか。
おじいさんはずいぶんくだけた感じで話し始めた。
「あー、あれの意味?。うんと分かんないんだけども、それよりどこから来たの?」
「東京?。すっとあれ、スカイツリーとか見たの?。いやこっちにも高い建物はあるんだけれどもね」
「あれなの?。東京の町はいつも美人アナウンサーが歩いてるってのは本当なの?」
要は、こちらの質問にはなぜか答えてくれない。
しかし、仕方ないので切りよく立ち去ろうとすると、こうくる。
「あもう行くの、そう。でもね、あなたが紅茶を飲む時、角砂糖は2個である事を私は知っているからね」
えっ、何ですかと聞く間もなく、おじいさんは近くのおばあさんともう話し込んでいるものだから、その確認はできずじまい。
一体どういうことなんだろう。
西町は区画がカオスに整理されていて、バス停近くの近隣地図を見てみると、ひび割れた厚化粧を思わせるような不均一な図形が所狭しと描かれている。
現在地点を示す赤い点から右に向かって歩いていくと、どんどん道が狭まっていくようだ。
コンビニを目安に、そちらに向かって歩いていく。
その道の両側は民家が続いていて、その壁にはずいぶん多くのホーロー看板が付けられている。
どんどん細くなっていく道の周りにたくさんのホーロー看板があるのは奇妙に見える。
そして道は鋭角をもって行き止まりになった。
来た道を戻ろうと振り返ると、たくさんの由美かおると水原弘がこちらを見ている。
お前らが俺の紅茶の角砂糖の数なんて知っているものか。
どうせうそなんだろう?。
かおるが目を伏せてみせた。

まるで魔法のよう。2

昨日からの続き。
【あらすじ】
「手品師が破れた新聞紙に魔法をかけるときのしぐさ」って、もっとなんかほら。
=====
何か、より「魔法かかってるな」を出す事はできないかという話だ。
まず思いつくのは、アシスタントをもっと有効に使う方法だ。
1:破れた新聞紙をアシスタントに持たせて、彼をおもいくそビンタする。
2:破れた新聞紙に向けて指を鳴らすと、近くにいたアシスタントが倒れる。
3:アシスタントがシャーマンの様相。
1はインパクト、2は魔法の効果、3は観衆の満足度に重きを置いて考えてみた。
次に、手品を行っているスタジオ関係者も巻き込むと、よりいいかもしれない。
4:魔法をかけるしぐさの瞬間に、カメラマンがくしゃみをする。
5:魔法をかけたのち、すぐに小休憩が入る。
6:スタッフの配置を線で結ぶと、スタジオに巨大な五芒星が出現。
4はさりげなさ、5はあやしさ、6は観衆の満足度に重きを置いて考えてみた。
ここまでくれば、どうせなら「しぐさ」ではなく本気で「魔法」を狙ってみたい。
7:小道具の新聞紙とともに、生きたニワトリが出てくる。
8:手品はたき火を囲んで行われる。
9:手品師がシャーマンの様相。
7は後戻りできなさ、8はトランス状態、9は観衆の満足度に重きを置いて考えてみた。

まるで魔法のよう。

今、「手品師が破れた新聞紙に魔法をかけるときのしぐさ」が熱い。
うそです。
ただ「魔法のかけかた」というのは結構面白そう。
国内海外を問わず、様々なかけかたがあることは想像に難くなく、それがキーとなるファンタジーもあるかも。
うそだったが、話を戻して「手品師が破れた新聞紙に魔法をかけるときのしぐさ」。
魔法とくればステッキが必須だと思うが、この件についてはその限りではないだろう。
それは、手品師が新聞紙を破る経緯の手品をしているときにはステッキを持っていないという事実があるから。
邪魔なのだろう。
それに、例えば破れた新聞紙に対してステッキを振ると、破れた新聞紙が元に戻るのと同時にステッキに花が咲いてしまう可能性もあるから、なおさらステッキによる新聞紙魔法は危険である。
という背景からだろうか。
「破れた新聞紙にかける魔法」は指を鳴らしたり指差したり、が一般的だ。
誰もが思わないだろうか。
「そんなことで魔法が使えるものか」と。
「そんなことで魔法が使えるのなら、毎朝うちのダンナは魔法がかかってるはずだわ」
「でも、かかってない」
「まっすぐ帰ってきてくれないんですもの」
なにこれ。
ともかく次回、本件のしぐさについて何か考えてみる。

かいだんをおもしろがる

最近、youtubeなどで怪談ばかりを聞いている。
と話したら、その前にタモリ倶楽部がどうこう話していたものだから「階段」と勘違いしたらしく、相手はまあお前は変なやつだからなという感じになった。
怪談だって何の前触れもなく紹介するものではないだろう。
「いやー怪談聞いた後の飯は超うまい」
あまり聞かれない。
とはいえ、「かいだんが面白い」と口にした時、それを「階段」よりは「怪談」と捉える方が自然だと思うのだが、どうだろうか。
それともタモリ倶楽部補正はそんなドングリの背比べのような「階段」「怪談」の差異などなくしてしまうのだろうか。
そして鉄道により近い「階段」にシフトしたのだろうか。
「階段」と「怪談」。
鉄道に近いのは本当に「階段」なのだろうか。
そして「階段の面白さ」とは何だろうか。
とりあえず、階段の面白さは転げ落ちると危ないので、上がる前に分かっておきたいと思った。