落としてきた歴史

駅に向かって歩いていると、ふとカイロが落ちていることに気づいた。
最近は寒さかぶり返してきて、僕もカイロを手放せない。
落とした人はさぞかし、身を震わせながら電車へ急いでいることだろう。
まあ特に気にも留めずに歩いていくと、すぐにまた何か落ちている。
小さい緑のメモ帳だ。
メモ帳を落とすかね。
けっこう人通りは多い。
雑踏の中、奇跡的に踏まれていないそれを見て、気づいた。
僕の持っているメモ帳と同じやつだ。
どちらにせよ、こうも落としていく人はどんな人なんだろう。
もちろん先ほどのカイロとこのメモ帳を落とした人が同一人物である証拠は一つもないのだが。
電車の時間が迫っている。
落とし物のことを考えつつも歩き出すと、また何か落ちている。
今度は使い捨てマスクだ。
耳に当てるゴムが一部、真っ赤になっている事以外は、いたって普通のマスク。
そう、もう花粉症の季節なのだ。
例年よりも少ない花粉量らしく、しかも寒いのだが、それでも花粉に苦しむ人がいる。
実は僕がそうで、僕もちょうど今、マスクをしてきているのだ。
寒い日なんかは顔を暖める効果もあって、重宝している。
そんなことを考えながら顔に手をやると、どうしたことかマスクがない。
僕がマスクをしていない。
今日は確か身に付けたはずなのだが。
マスクを触ろうとした手は行き場を失い、顔をなでるしかない。
少々腑に落ちない気分になりながらも、冷えはじめた手を温めようとカイロを探ろうとしたところ、ポケットにそれがない。
あれ、カイロもない。
奇妙だ。
何か不安になった僕は、内ポケットに入れてあるメモ帳を探す。
ない。
そういえば、あのメモ帳はちょっと珍しい。
コンビニなどでは売ってない種類のものだ。
さきほどから目にしてきた落とし物は、ことごとく自分の持ち物だったのか。
自分はここに、何を落としてきていたのだろうか。
落ちているマスクの先をゆっくりと見てみると、何も落ちていない。
しかし、駅にむかっての直線上に、さまざまな円が書かれていた。
遠くなるほどにその円は大きくなっていく。
チョークで書かれた円。
手前の、一番小さめの円を見た時、頬をつたう生暖かい液体に気づいた。
僕は、改札まで無事にたどり着けるのだろうか。

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