口頭に向くやつのあゆみ

***口頭に向くやつのあけぼの***
大昔、人々はしゃべることで人をおもしろがらせる、いわゆる「口頭に向くやつ」を手に入れるどうこう以前に、そもそもしゃべることが出来なかった。
初期の人類は、しゃべることはおろか声を発することも出来ず、一様にぴちぴちしているだけの生き物だった。
よって、声を発するには相応の喉の構造改革が必要であったし、さらに意味をなす声、言語の獲得には長い年月を要したのである。
図:ぴちぴちしていた頃を思い出して描いたと思われる壁画
  ぬぬぬ   ||| 共互
    ● 煮真面目● ●
   ぬ   ●
     ===●
***初歩的な口頭に向いてるやつの台頭***
16世紀頃になると、人類はだいたいしゃべれるようになってきた。
そして一方で、笑うという表現方法も獲得していた。
しかし、しゃべることで人を笑わせるという方法は確立されていなかった。
笑うことのほとんどは、食べようとしたジャムパンからジャムがだだもれしていただとか、リップクリームを出そうと底をくるくる回していたら出てくる寸前で止まってしまっただとか、動作的な要因に付加してくる、さそい笑いのみだった
「あなたが動けば、私は笑う。あなたが動かなくなったら、私は泣くだろう」
16世紀の劇作家ヤキミソの言葉が有名である。
しかし17世紀初頭、哲学者エトークは、タンスを思いっきり閉めることで上の段が少し開く動きによる笑いを楽しんでいたとき、「笑うことの快感をもっと能動的に行えないか」と考えた。
そこで彼は以下のことを試した。
・タンスの上の段のところにセクシーランジェリーを詰め込んで、タンスを思いっきり閉めてみる
・大声で「おつかれさまでーす」と言ってみる
・手の甲に血管を浮き立たせる練習をしてみる
・赤信号に一回もひっかからずに駅まで着いたら、今日はいい日だと考えてみる
・雨の日、あたかも水たまりを避けるかのような動きで、全ての水たまりに着水していく
これらの方法はうまくいかず、夫婦生活に転機がおとずれるか、自分がいやになるかだけであった。
しかし奇妙なことに、それを見ていた人が笑ったものがあった。
意外にも「おつかれさまでーす」と大声で言ってみたものである。
それは本来、哲学者っぽいくたびれた格好のエトークが「おつかれさまでーす」ということで、周りの人が「おまえのほうがよっぽどだ」と感じたための、やはり「さそい笑い」だった。
ところがエトークは「動作ではなく、何かを言うことで人が笑うこともある」「それを利用すれば能動的に笑いの制御が可能ではないか」と勘違いしてしまった。
これが、初歩的な口頭に向いてるやつのはじまりであった。
次回
初歩的な口頭に向いてるやつの例と、第二世代口頭に向いてるやつ

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