裂ける点

今では「さけるチーズ」という名前になってしまっただろうか。
ストリングチーズをはじめて見たときのことは、今でも鮮明に覚えている。
とはいっても優れた比喩が用意されているわけでも、飛ぶ鳥落とすボケがあるわけでもない。
とにかくそれは、たてに裂ける以上の何者でもないのだ。
しかしそれでも「チーズがたてに裂けてる!!」「食べたい!!」というあのときの衝動は、人生の衝動ベスト10に入るような気もする。
そのくらいだった。
悲しいかな。
子供のころはチーズを買うおこづかいもなく、母親へ購入を促してもその理由が「たてに裂ける」だけでは強く提案もできず。
現在に至る。
今では自分で買うこともできるが、しない。
「あの糸みたいになったところを食べたらどうなるんだろう」というときめきの消えるのが惜しい。
だから買わない。
味が分からないので、僕にとってストリングチーズは頭の中で裂かれるイメージしかない。
そしてイメージにしろ本物にしろ、何の料理に使えばいいのか分からないから、もう本当に裂かれ続けるしかないのである。

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