前ぶれポラロイド

ポラロイドカメラとは何かと言えば「カメラから写真がべーっと出てくる」が最たることで、昔は主にカメラ前面から出てきていたが、近頃のは他のところからも出てくる。
しかし当たり前だが、最も重要な「写真出てくる」はどのポラロイドカメラでも共通の特徴なのである。
そしてもうひとつ重要な事に「出てくる写真は現像前」がある。
これらの順序立ててみる。
写真を撮る

写真が出てくる

待つ

じわじわと画が出てくる
このように「画が見える」前に写真が「出てくる」わけで、それは例えば以下のような可能性を私たちに与える。
「ポラロイドカメラで写真を撮ったら、写真搬出口から髪の毛が出てきた」
これで、私たちは画を待たずとも、それが確実に心霊写真であることがわかるわけである。
「写真搬出口から韓国海苔が出てきた」
韓国海苔を写そうとした念写が、強力に成功。
「写真搬出口から取扱説明書が出てきた」
誰かのいたずら。
「写真搬出口から婚姻届が出てきた」
「写真搬出口からCAN YOU CELEBRATE?が聞こえてきた」
撮られた二人は結ばれる。
「写真搬出口から煙が出てきた」
この写真は自動的に消滅するだろうから、逃げろ!!。

命の長さ、音速を超えず。その2

昨日からのつづき。
【あらすじ】
マンドラゴラの伝説に「それを引っこ抜くときに叫び、聞くと死ぬらしい」。
それゆえ「紐でマンドラゴラとつないだ犬を遠くから呼んでひっこぬかせ、手に入れる方法」が知られている。
でも、それってねえの話。
=====
上記伝説でわかることのひとつに「採取者になれている犬を、採取者はそれほど好きでない」がある。
それはどういうことか。
犬は採取者の「待て!!」を待つ事のできる、なれた犬なわけである。
待たないと、叫び声聞こえゾーンで犬は「待てず」、みんな死んでしまうから。
しかし採取者はそれほどその犬が好きじゃない。
「紐でマンドラゴラとつないだ犬を遠くから呼んでひっこぬかせる」
ここだ。
ここでなぜ「長い紐を用意する」方法がとられないのか。
それが分からない。
伝説だからといって、そういうところをないがしろにしてはならない。
「マンドラゴラが埋まっているうちに叫び声があげられないようにする」というのもありだろう。
マンドラゴラに「ひっこぬかれてない」と思わせる事ができれば、叫び声をあげることもないわけで、その契機が光なら夜にひっこぬけばよく、土の感触がなくなったことなら徐々にひっこぬく事で空気中に根が露出する事になれさせればよい。
周りの土ごと採取、必要なときに根を土に埋まったままの状態で少しだけ削り取って薬に使用する方法もあるだろう。
いろいろあるが、とにかく気になるのが「長い紐の用意」だ。
マンドラゴラの叫び聞こえゾーンを超える長さの紐が使用できれば、何の問題もなく採取が可能。
その紐を用意せずに犬を犠牲にするところが「採取者、犬好きじゃない」というわけだ。
言い換えれば「当時、長い紐超貴重」という可能性もあるけど。
また、マンドラゴラの叫び以上の叫びを採取者自身が発する方法も試みられはしなかったかも気になる。
そんなことできるのかという感じも受けられようが、採取者は「マンドラゴラの叫びが聞こえない地点から、自生場所で待つ犬を呼ぶ」声量が求められるのである。
案外、いけるのではないだろうか。
それにしてもさすがに思う。
ああ、もうマンドラゴラのことはいいや。
もう十分、この2日でマンドラゴラのことを考えた。
当分マンドラゴラの事はいいや、と。
「数多くの採取者を殺害してきたマンドラゴラがついに逮捕。しかし被疑者、黙秘権を行使」
「当分マンドラゴラの事はいいや」に、おいうちの原因を作ってみました。

命の長さ、音速を超えず。

本ブログでもたびたび出てきた「マンドラゴラ」。
今回もお世話になる。
この植物、実在するらしいが、やはり気になるところと言えば伝説のほう。
「ひっこぬくとき、その叫び声を聞くと死んでしまう」というやつだ。
叫ぶらしい、これ。
そして死ぬらしい。
その薬効がすごいらしく、みんなどうにかしてマンドラゴラを手に入れたい。
しかし死ぬ。
そこで知られるところのある方法が出てくるわけだ。
マンドラゴラと犬を紐でつないでおき、遠くから犬を呼ぶ

犬がマンドラゴラを結果的に引っこ抜く

犬は死ぬが、採取者はマンドラゴラを手に入れる事ができる
この話で、いくつかわかることがある。
まず、犬は採取者のことを忠実に聞くくらいの、なれた犬であるということ。
そうでないと、マンドラゴラと犬をつないでいざ離れようというとき、犬が「待て」をできないようなら「マンドラゴラにつながれた犬と誰か。みんな死んでいる」といった事件になってしまうから。
それに、マンドラゴラの叫びは犬にも効くということもわかる。
これは結構重要で、もし効かなかったとすると「叫んでいるマンドラゴラを採取者のところまで運んできてしまう」という予想外の惨事が発生しかねない。
マンドラゴラの自生した地点から採取者のいるところを結ぶ直線上の人たちが大変なことになるのである。
そして最後。
「採取者になれている犬を、採取者はそれほど好きでない」ということ。
これは明日へ。

クイックドロウ先

最近気になる事と言えば「なぜ撃ったあと、拳銃の先を吹くのか」であり、これは今日の昼ごはん何を食べようかという事の次くらいに、考え事として登場する。
そう、登場するということは今までも納得できる答えを見つけられていないということであり、おそらく今後も分からないままだろう。
銃口を速やかに冷やさないと何か、爆発するとか有害なことが起こるのだとしたら、吹いてカッコつけている場合ではない。
すぐさま土の中に埋めたり、銃をすごく遠くへ放ったり、置いて扇いだりした方がいいはず。
それは、何か新しい投降方法のようにも見えるだろうが、実際は勝利を確信したときの行動であるのだ。
しかし、夕日を背にしたガンマンがそんなことをやっていることを見た事はない。
普通に考えれば「銃口が笛になっている」だが、それあまりに楽しすぎだ。
せめて「撃った直後だと、いつもと違う音色の出ることがあるとのガンマン間の伝説がある」としておきたい。
ガンマンは銃を撃ったとき、たまたま銃口を口元に持ってきてしまうということも考えられる。
特に理由はない。
しかし統計的にみても、明らかに「銃口を口元にもってくる」ことが多いらしいのである。
この謎は、今回の「なぜ撃ったあと、拳銃の先を吹くのか」という問題提起がなければ気づかれなかっただろう。
その点今回のブログはかなり有益である。
ガンマンは小さい頃から筒状のものの先をなめるとほめられて育てられてきたのかもしれない。
銃撃戦は緊張の連続だ。
それが終わったとき、ついくせが出てしまうのである。
可能性。
僕は可能性の話をしている。
変な話じゃあない。
「あ、お父さんの股間にプルーンが2つついてる~」
これは変な話のほう。

ワンコイン見栄

100円均一の店でおもしろいものを見つけた。
「レンズのない伊達メガネ」がそれ。
メガネの、本来レンズのある空間が空虚で、すかすかである。
これでまず思い出すのがキャイ~ンの天野氏が装備しているあれ。
今、「キャイ~ン」の「イーン」が一発で「イ~ン」に変換された事にひどく驚いている。
手取り足取りな変換である。
それは置いておいて天野氏。
彼は確かレンズのない伊達メガネであって、そこに指を通しておもしろおかしくしてくれた。
しかし僕はこの伊達メガネを見たとき、そのこと以外にも2つばかり気になる事があった。
● 伊達メガネなのだから、そもそもレンズはない。だからこの商品は「レンズがないことすらない伊達メガネ」なのではないか。
● なんか、伊達すぎるのではないだろうか。
最初のは自分でも半分何言っているのかわからないが、ひとつだけ分かるのは、こんなこと言っているから友達があまりいないんだろうなということで、僕の友達。
今後ともよろしくといったところ。
2番目のは、伊達のとらえ方で変わるだろうが、レンズ風なものすら省いてしまったところに、伊達すぎる感じを受ける。
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めがねの伊達っぷりランキング
1:ちょうど額にあたるところにもレンズが一つ、ついている
2:めがねのふちが空洞で、静脈の一部扱いになっている
3:片方ずつ、しぼりで光量を調節できる
4:めがねのふちから新芽が顔をのぞかせている
5:箸置きになる
6:各レンズ左下に、ちっさいテレビがついている
7:表側がモニターになっており、気を抜くとスクリーンセーバーが起動する
8:ばねで飛び出ているようにみえる目玉のおもちゃがついているが、床まで届いている
9:ばねが面前で結んである
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ほんと、今後ともよろしくといったところ。

4分割の幸運は、分け前が少ない。

園芸店や雑貨屋さんで見かける事があるだろうか。
「幸運のよつばのクローバー」
品種改良なのかもともとそういう種類なのか。
その葉の多くが「よつば」になっていて、それは伝承的に伝えられている「幸運」というものの、まさにそのものなのだった。
しかしこの商品を見るたび、僕はなんともいえない気持ちになる。
「そういうことじゃ、ないでしょう?」
よつばのクローバーが幸運を象徴することに文句はないが、それは「よつばのクローバーは珍しい」という事柄が根本であるがゆえのことだ。
その「幸運のよつばのクローバー」は、よつばがわっさーなっているため、珍しさが損なわれている。
そこに何かしらの希少さを見つけ出そうとしても、それは叶わないのである。
ただこの「幸運のよつばのクローバー」と「幸運」というものが結びつかないかというと、そうでもないだろう。
幸運は希少であることが条件であるが故、どこにでも存在するもの。
みつばを探しだそうとすることに、話題性がないわけじゃない。

ゆけどこまでか。

JUDY AND MARYの「LOLITA A-GO-GO」をよく知らなかったので、JUDY AND MARY好きの友人に怒られてしまった。
くそう。
そんな話をしていると、他方から「昔、マッハGoGoGoというアニメがあった」との声。
そんなものもあったのか、と。
しかしここで僕はひとつの事実に気づかされる。
「Goは3回まででよい」ということである。
例えば「LOLITA A-GO-GO-GO-GO-GO」だったらどうだろう。
分からない。
なんか分からないが、原宿とそこへ通じる路線の電車内が大変なことになりそうな感じ。
終電後の原宿の路上にホワイトブリムが点々と落ちていそうな感じ。
GOがたくさんあるとそうなってしまうのである。
「マッハGoGoGoGoGoGoGo」だったらどうだろう。
確かにマッハはすごい。
僕らが思っているよりも、ずいぶんと速いのだマッハは。
しかし「GoGoGoGoGoGoGo」では、ちょっと行き過ぎで、急ぎ過ぎはないだろうか。
ある意味「生き急ぎ」でもありそうだ。
確か「マッハGoGoGo」は車のレースを題材としたアニメだったように思う。
「マッハGoGoGoGoGoGoGo」はその車のチーム員や観客からは発せられる可能性はあるものの、程度というものもある。
この点でも、「マッハGoGoGo」は程よい「Go」であり、それは3回なのだった。
「Go」は3回まで。
僕もこれから生きていく中で、優先度高めにしていきたいことである。

不吉な4のイメージアップ2

昨日からのつづき。
【あらすじ】
なぜか嫌われる数字の「4」。
その尊厳を取り戻すため、どのようなことをすればいいのだろうか。
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1:「4位」が、一番よい商品が獲得できるようにする。
おそらく一番人気のある数字は「1」であろう。
それは「1番」「1位」に見られるように、優れているという意味が込められているから。
そこでその威光を「4」に適応するべく、とにかく行政的な対応から「4、最高」という認識獲得を目指してはどうだろうか。
「ベスト3にわざと入らない順位として、最高位」であるという位置づけでの「4位」。
「能あるタカは・・・」ニュアンスでどうだろうか。
2:人気アイドルが15秒間、ノートに「4」と書き続けるCMの作製
なんだかんだいって、未だテレビの影響力は絶大である。
その観点から「4」への悪印象を払拭する狙いのCMである。
ただ「4」を書き続けるところに何か病的なものを感ずるのであれば、例えば新作映画のCMに見られるような「すっごく感動しました」みたいなことを素人風の出演者に言ってもらうやり方なども考えられる。
「今まで気にしていなかったけど、よく見てみたらすごくよかったです、4」
3:ピカチューの背中の模様が「4」になっている
ある時点から、ピカチューの背中の模様を「4」にする。
子供の頃から「4」に対する印象を良くすることが狙い。
確かに「4の模様」へ移行した場合、違和感や抵抗がないとは言えないが、政府(4イメージアップには政府の全面的な協力が必要)としては「え、今までずっと4でしたよ」という姿勢をつらぬく事で解決できるはずである。
5:新作ドラマで登場人物たちが「愛してる」の隠語として「4」を使用する
ピカチューが子供たちへの情報操作なのだとしたら、こちらは中高生をターゲットにしている。
イメージとしては、別れた恋人が残す最後の封筒に入っていた「4」の手紙である。
6:「3」と「5」のイメージダウンをはかる。
相対的に「4」のイメージをアップさせる。
人生における、多くの「3~5のいずれかを選ぶシーン」において「4」を活躍させることができるのだ。
「この花壇には、パンジーが5株くらい植えられる」
4株になるのである。
なお、「3」と「5」のイメージダウンには「3あるいは5を書くときは、血がたれる感じを出すこと」という条例の制定でいけるだろう。
7:リモコンや携帯電話の「4」のボタンを押すときのみ、クイズの正解音がなる
確実に印象よくなるだろう。
しかし一方で「なりすぎ」による憎悪感が発生する可能性があるため、「運がいいとなる」くらいにするとよい。
8:ポーカーのルールを「4が出たら一律勝ち」にする
「4」はどんな数にも置き換える事ができるというルールにする。
数を引く事すらできるので、21を目指す事が容易。
「ポーカーフェイス」という言葉が「4」のためのみにあると変化するくらいの劇的な方法である。
ただしポーカーは世界的に知られているトランプゲームなので、この方法には世界的な「4」運動が必要。
9:一般的なカップ麺の待ち時間を4分に設定する
新しい麺の開発さえできれば実行可能。
・・・
今まで挙げた例は、効果は高いだろう。
しかしその実現度にはいささか疑問が残る。
まずは「4、悪いやつじゃないよな」という考えに補正していく個人レベルでの努力が必要となるだろう。
以上。

不吉な4のイメージアップ

昨日からのつづき。
【あらすじ】
なぜか嫌われる数字の「4」。
その尊厳を取り戻すため、どのようなことをすればいいのだろうか。
=====
「4、嫌われる原因を考慮してイメージアップをはかる」を考えてみよう。
実は、なぜ「4」が避けられる数字なのか、よく知らない。
「シ」と読める事で「死」を連想させる。
これしか思い出せない。
正直、小学生の下校中話題のひとつくらいにあるもので、だじゃれである。
以前書いたかもしれないが、1文字のだじゃれというのは、もう自然発生的な何かであり、それをユニークなものとしてとりあげることすらはばかられるべき。
他に何か決定的な「4、やだよね」感を発するものがあるはずである。
ここで、生物の本能とも言うべきある性質に注目してみよう。
「鶏は弱い個体をみんなでいじめる」
ある社会的構造において、何かのバランスを保つシステムとしてそういったものがあるらしいのだ、にわとり。
「しっぽの切れたトカゲは村八分あつかい」
とかげに「村」があるのかどうかがかなりアヤシいが、まあ話としてはそんなこともありますか、という感じ。
話を戻すと、いまいち嫌われる原因の見つからない「4」という数字は、もっと些細(死に通ずる発音、などよりもより些細)なことが原因で嫌われるようになってしまったんじゃないかと思えるのだ。
「4は他の数字より弱かった」
にわとりの件である。
数字に強い弱いかを定義するのは難しい。
その用途が多岐に渡っていて、数字の存在意義自体がその用途そのものなので、数字唯一の個性である大小を強弱に合わせる事はあまりに無理があるわけだ。
ということで見た目で考えてみると、僕個人として「4」は結構強い部類に入る気がする。
なぜかと言われても困るが。
「4のしっぽは、いつも切れている」
とかげの件である。
ここで難しいのは「数字のしっぽ」がいったい何なのかという点だ。
「数字のしっぽ」。
これだけだと、解釈しやすいように書かれた数学書のタイトルみたいになってしまう。
さらには数字の強弱を考える以上「各数字のしっぽ」「各数字の、しっぽが切れた状態のかたち」なども知る必要があり、もはや収拾がつかない。
やはり見た目で考えるべきだ。
と、これまた僕の見た目印象だが「4」は他の数字よりもしっぽが多いくらいなんじゃないかと思う。
しっぽ、切れてないよたぶん。
「4、嫌われる原因を考慮してイメージアップをはかる」のは、その嫌われが何に由来するのかがわからないため、軽く頓挫した。
ここはとにかく4が好まれるような活動を行っていく必要があるようだ。
次回へ。

なんて不吉な、数字だ4。

眠れなくて、目を覚ます。
ケータイを手に取ると4時44分。
不吉だ。
今日は4日で、やはり不吉。
ケータイを置こうとして、そこにはちょうどめがねも置いてあったようで、それもろとも床に落ちて大きな音を立てる。
早朝に大きな音を立ててはだめだ。
落ちる瞬間、ケータイへ「すまんお前もうすぐ落ちるぞ」と教えてあげられたなら、少しは心の準備ができただろうか、ケータイ。
眠れそうにないので机に向かう。
指先が痛い。
寝ている間に爪でも噛んでしまったのだろうか。
それともダークフォースみたいなものが指先から勝手に放電したのだろうか。
ふとんは紫色に染まっていない。
ベビーローションを手に取ると、必要以上にどばっと出る。
出過ぎたクリーム、あるいは歯磨き粉をうまく容器へ再注入することはできないのだろうか。
あれ、歯磨き粉って言い方古そうだ。粉のところが。
今のチューブのやつはなんて言うんだ。
話は全然違うけど、歯磨き粉をフリスクの容器にみっちり詰め込んでおいたら、「ウォータリングフリスク」として認識できなくはないんじゃないだろうか。
朝5時。
何か、運を使い果たしてしまったような。
叶わないものにここ数年の運をベットしてしまったのような。
なんだか、4時44分から不幸の連続である。
そしていま、朝5時。
5時に寝ていないってのも、どうも。
ということでまずは4を不吉なものではないという考え方にシフトする予定。
次回
「4」のイメージアップ戦略