見るよろこび

二度見という文化がある。
同じ物を二度も見てしまうほど、それが理解しがたい何かであるということだ。
しかしこの二度見。
後ろに「それ」があったとしたら、それを二度見れば二度見になる。
しかし、前にあったとしたらどうだろう。
最初に目に入ってきたまま。
二度見るという動作にはならないような気がする。
つまるところ最初から目に入っていたものに対して「二度見」に相当する行動をするのは難しい。
見ていないところで「二度見」に値することが起きた場合、それは「一度目:起こった事を確認する」。
一度目と二度目の間に「問題ないと判断」と目線を外す。
そして二度目の際には「もう一度確認せねばならない緊急の事情」が生じるのである。
一方、見ているところで起きた場合では、そのうちの「目線を外す」が必要ないため、そのままのまなざしが二度見分に相当する。
その二度見分が一見「二度見」とは見なされないのである。
見えていたものに対する「二度見」を成立させるためには、どうすればよいのだろうか。
まんがなら目を飛び出させる、ねこなら瞳孔を大小させる、顔を近づける。
いろいろあるが、実際に実行可能なものはそれほど多くない。
まんがではないし、ねこでもない。
顔を近づけると、自分もしくは対象が異性だった場合、どちらかがきゅんとなるだけかもしれない。
どうしても「俺は今二度見分に相当する驚きを受けているんだ」を確実に表現したい場合は、言葉による補足が必要になるだろう。
結論
「二度見分が一見二度見とは見なされない」というのが結構よかった。

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