死神

ひとりでに開いた(ように見えた)自動ドアの近くでうどんを食べていた僕は、同じくうどんをすすっている先輩に「死神が来ましたよ。このうどん屋の誰かが、死ぬ」と告げた。
彼は、またこいつおかしなことを、という感じで聞き流し、いったんしまった自動ドアがまた開き、子供を先頭にした親子が入ってきた。
死神どうこうなんて、一見なんだそりゃという感じをもたれるかもしれないが、僕としては「自動ドアだけを開けるいたずらのようなもの」のほうがよっぽどだ。
「もっとやりようが、あるでしょう」
ともなると死神云々でも持ち出さない限り、僕がやられてしまうのである。
もちろん自動ドアが勝手に開いたからといって、そんなものが入ってきたとは信じていない。
自動ドアが開いたのでそちらを見ると、何もいない。
しかし傘立てに、さっきまでなかった鎌が立てかけられていた。
これくらいなら信じてもいいが、単にうどんを食いに来たともとれるため、うどん屋は難しい。
自動ドアが開いたときから、ドアに近い人順に死んでいく。
これくらいなら信じてもいいが、その存在、ありようを誰かに伝える事ができなさそうで、生きることは難しい。
そもそも、条件付けにも左右されるが、まず「自動ドアが開いたので死んだ人」というのは考えにくい。
もしいたとしても、それは「自動ドアは開いたが、特に何もなかった人」の数にかき消されてしまうだろう。
それに、例えば「自動ドアは開いたが、特に何もなかった人」の調査しているなかで、実は「自動ドアが開き、尿意をもよおした人」の数がすごく多いことが判明してしまった場合。
尿意は音も立てずやってくるが、センサーには反応する。
そんなことをうどん屋では考えたくなく、僕が死神とあらわしたのはなおさら賢明と言えるわけだ。

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