タブレット

なぜかは分からないが、この日と11月の29日。
何も書いてなかった。
今が2011年の9月だから、一見この日へさかのぼって何か書くというのは意味をなさない。
その一見、正解。
うちにはタブレットがあるのだが、これほど置き場所に困るものはあまりないのではないだろうか。
薄いが広々としている。
結構重い。
そして上に物を置いてはいけなそうだから、仕方なく机の横に立てかけているのだが、これも正解かは不明。
いつか、タッチペンも当ててないのに「たすけて」というイメージを、レイヤー2あたりに出力されやしまいかと戦々恐々である。
紙は、ものを末永く伝えるために開発された。
ほぼ同じ機能を持つだろうタブレットとそれが決定的に違うのは、ソフトとハードということだけではない。
同じものをどのくらい繰り返し使えるか。
これもだいぶ違う。
例えば紙は、消しゴムなどを用いて繰り返し使うことができる。
だが、その耐久性から考えると、限界というものがある。
それに繰り返しとは言っても、伝えられる情報の上限もある。
一方タブレットは、だいぶ繰り返せる。
紙をたくさん使わなくていいし、パソコンなどをよく使う人にとっては紙より都合もいい。
ただ、手軽さについては紙にも分がある。
ぱっと手渡しできたりするから。
タブレットでそれを実現しようとすると、ちょっとコストパフォーマンスがたいへん。
そしてもはや、それはタブレットではない。
人は、それを彫刻と呼ぶだろう。

レメゲトン・サレオス

古の悪魔達は、今はまた別の力を獲得した、かも。
その、別の力とは!!。
※「レメゲトン」カテゴリのスタンスについて
【サレオスさんのソロモン時代】
猛々しく武装した兵士の格好をして、ワニに乗って召還者の前に現れる。
男女の間に愛情を芽生えさせる能力を持つとされ、その能力を目的に召還される。
【現在のサレオスさん(予想)】
バンジージャンプをやるとき、命綱となる金具を装着してくれる人がすべてサレオスである。
様々な場所で、様々な人として出現しているが、実際はサレオスが悪魔的な力を駆使して、ひとりでやりくりし、バンジージャンプをする人々に金具をつけるのである。
一見、なんとも悪魔的ではないと思われる行動。
仕事もまじめにこなすし、何よりもお客さんとのスキンシップがずば抜けている。
雇い主の共通した意見だ。
しかし実は、サレオスはソロモン時代での自分の悪魔的役割を今でも全うしようとしているため、この行動を行っている。
すなわち、生理的な認知要因を利用して男女間に恋愛感情を持たせようとしているのである。
バンジージャンプするときの人はどきどきしている。
そのどきどきを、魅力的な異性にであったときのどきどきと勘違いさせようと考えているわけだ。
このとき、バンジージャンプの金具をつける仕事についていないと、せっかくどきどきしている者のそばにいることはできない。
だから金具をつける人に、サレオスはなったのである。
既に経験のある人もいるかと思うが、バンジージャンプの金具をつける人すなわちサレオスだが、装着準備中にたいがい同じ台詞を言うのである。
「これが外れることなんてありませんから。ほらあそこにいる人もこれやったんですよ」
このとき指さすのが体験者にとって異性となる存在だ。
このとき愛が生み出されるのを期待している訳だ。
言い換えると、サレオス自身は既に悪魔的な能力を持っていない。
自分を瞬間移動させることしかできない。
よって、サレオスを召還する意味は薄い。
そもそも彼自身が出てしまっているため、彼を求める魔術師はきわめて少ない。
しかし現代、はからずもサレオスを目的に行動する人々が増えている。
例のどきどきを、バンジージャンプ自体が好きなのだということで勘違いした人である。
それをサレオス自身は、体験者とバンジージャンプ間の愛情が男女間の愛情ではないことにひどく悩んでいる。
ソロモン時代では男女間を取り持つ能力でやっていたのに、その拡張でバンジージャンプも守備範囲に入れていいものか。
それとも男女間のやつを貫くのか、を。
バンジージャンプ。
金具をつけてくれる人が思いのほか魅力的に感じたとき、それはサレオスがひとつの結論を出していたときなのである。

未定

どこの国だかでアイドルの低年齢化がどうこうらしい。
確かに、すごく大人びた子供がいますしね。
とはいえ、今のところアイドル自体にあまり興味はないのですが。
「先月デビューしたユミです。スリーサイズは未定です☆」
こうこられたら。
お、うまいなという感じで気になるだろう。
これを言えるのは、整形外科的な何かを考慮しなければ、子供である。
大人アイドルだと「お前はいつまで育つつもりだ」などと言われてしまう。
その点低年齢キャラの特権である。
なんか、新鮮である。
ただ、思いのほかぐいぐい未成熟に食いつく人もいるかもしれない。
それが困るところである。
まあこの流れを続けるとなると、必然的に出てくる「俺タクヤ。血液型は未定です」「さやかです。趣味は未定です」。
おそらく前者は地球外生命体アイドルかもしれないし、骨髄移植の予定があるのかもしれない。
どちらにせよ、早めに決まった方がいい。
後者は自然に決まる物でも、かつ急いで決まる物でもないので、その点未定でもそんなにこちらが不安になる事はない。
あせらず自分なりの趣味を見つけてもらいたい。
「僕、名前未定です」
新加勢大周か何かだろうか。
「私ミカ。命日未定」
いやあ奇遇ですな。実は僕も。

とてもシーケンシャルな星空をみはじめ

?、?だと、やっぱり次は皿ですね。
ね。
?、?、皿。
ポップなお菊ですね。
まあこれはいいとして、この法則があったとき、?が田中だったら、どうなるでしょう。
田中、高橋、皿。
いいですね。
不条理な方向で投げ放っている感じが、いいですね。
放った割には「わかるやつにはわかる」みたいな風で、いやらしいですね。
僕はぜんぜんわかんないんですけどね。
僕には田中が3人、高橋が2人いて、合わせると6人でした。
そのうちの高橋の2人は川へダッシュ、1人の田中は山にスナーク狩りに行きました。
僕と田中2人、あわせて皿人は田中僕田中になりました。
僕はぜんぜんわかんないんですけどね。
ただ、僕はどんなにか田中が女の子だったらいいのにと思ったでしょう。
宮沢賢治が何かを思ったくらい、思ったよ。
全然関係ないけど、ワードとかのオートコンプリートっぽく、何か商品名を入れようとするとそれに紐づいたURLが出てくる機能、めんどくさそうよね。
もりな
ここまで入力すると、ふきだしにずらっとお菓子サイトへのユーガットメール、いやURLが出てくるんだ。
いいですね。
疲れにまかせて堂々とした感じが、いいですね。
ちなみに「ユーガットメール」のところは「ボーイミーツガール」とどちらにしようか迷ったよ。
僕はぜんぜんわかんないんですけどね。
田中ミーツ田中になるには、田中のミーツを僕が引き受けて、質を落とす事なくしかも田中のミーツであることを相手に理解してもらえるように、田中にミーツしなくちゃいけないんだ。
僕がミーツになれれば、問題なく田中ミーツ田中になるんだけど、ちょっとミーツは。
ミーツは年中、ふくらはぎの穴から樹液が出ている人しかなれないらしくて。
「樹液って、蜜のことじゃあないですよ」
ミーツは、こう言われるのが一番嫌いなんだって。
そんなことはわかってる、わかってるよって。
別にかけたわけじゃないんだよって。
ミーツになるには蜜が出てるとかって、しかもそれを樹液と取り間違えたって。
そんなことないんだって、怒るんだ。
むしろ順番が逆らしいんだ。
ミーツと蜜と樹液の順が。
今まではミーツ、蜜、樹液というのが定説だったんだけど、実はそうでなくて、ミーツ、蜜、樹液なんだって。
一見ぜんぜん変わってないんだけど、量がすごく変わるんだって。
量で順番が変わるくらいなら、この世の中いろいろ変えられる事があるのにね。
僕はぜんぜんわかんないんですけどね。

くびれおに

今ドラマで、首つり死体を目の前に金銭関係で口論をする人々のやりとりがあった。
特性上、非人道的なシーンを表現したいところなのかもしれないが、フィルターを外してそれを見れば「口論する人たちの横を、揺れる足がちらほら」となり、なんだか面白い。
はやく下ろしてやろうよ
なんか一段高いところから口論に参加している、位の高い人みたい
シャンデリアのオプションです
どれもよく当てはまる。
自殺における縊死は、うまくフィットしなかった場合はかなり苦しいと聞く。
でも揺れている。
その妙な差異もおかしいかもしれない。
あくまでドラマだし。
それにしてもこのシーンで一番最初に思ったのが「たかっ」だった。
ちょっと、高かったのである。
ドラマの首つりシーンをみて、首つりの高さが気になるとは思わなかった。
首を吊るためには、実はそんなに高さはいらないという。
苦しいが、座高くらいのところに頸部を圧迫するための紐などを仕込めばいけるとか。
そんななかで高さを目指す首つり者たち。
彼は落差を使っての脱臼を狙ったのだろうか。
これは苦しまないらしいし。
しかしドラマでは、首つり自体(なんかいい響き)がシャンデリア様のものに紐をつけて、高いところで行われていた。
落差どうこうの高さではなく、高高度のところでの普通の首つり死体だった。
高いところでみじっかい紐での首つり。
意外性。
誰の目にも触れられないようにしたい。
星に少しだけ近い。
心境はいかなるものなのだろうか。
もちろんその心境とやらは、もうなくなっているのだろうが。
まあ、ドラマでよかったよネ。

5分間

はらがいたいのら!!。
これを短くするとはらたいらになりそうだ。
腹が痛くなってきた。
なぜだ。
今飲んでいる、あったかい紅茶にそんな作用はないはずだ。
昼食の担々麺か。
辛いからか。
しかしおいしかった。
辛いから。
いてててて
やっぱここで「いてててて。」と、「。」をつけたら痛さが伝わりにくい。
「。をつける余裕があるじゃないか」
そう。
僕は余裕がないのに余計なことをする。
切実なお願いごとを書いた張り紙に、マスコットキャラクターを書いてしまう。
「それほど切実じゃないな」
はらたいらの件だってそうだ。
はらいたーいのら!!
!!だってそうだ。
僕は昔、1杯の紅茶に角砂糖を4つくらい入れて、それをマリービスケットと一緒に食べるのが好きだった。
今ではそんなに角砂糖を入れることはないが、その影響が今出てきたのか。
ああ今、マリービスケットというのが本当にあるのか、ちゃんと調べてしまった。
それらしいのはあるので、安心だ。
安心だ安心だ
じゃあま

陰陽の羨望

前から好きな事は好きだったのだが、ここのところJUDY AND MARYの「ランチ イン サバンナ」ばかり聞いている。
作られた背景は全く知らないが、歌詞にビルやらサバンナやらが出てきて、その対照が楽しいのである。
対照。
付箋だとか吸い殻だとか使いかけのペンだとか。
この富栄養な世の中で、何と何を紐でむすめば、あるいは線をひけば、全てを網羅できるのだろうか。
歌を聴いていて、そんなことと中島らもの小説を思い出した。
落ち着きがちだが、男と女だろうか。
ぼくが思うに、男と女はかなり似ている。
外見的に言っても、ほぼ同じであると考えて間違いない。
ある本に「セントバーナードとチワワの化石を見た未来人はそれを、「同じ犬というもの」とは認識できないかもしれない」という旨のことが書いてあった。
そんなことはないんじゃないかとも思うが、とにかくそれと比べたら男と女はおんなじだ。
おんなじものをつなぐために線をひくと、それは点だ。
点では全てを網羅できないだろう。
男、女、違う。
これまた落ち着きポイントだが、生と死だろうか。
生と死を紐でむすぶとそれは、例えば人間では「人生」となるだろうか。
となると、全てを人生が網羅していればよいことになるが、ざんねん。
例えば「神田川の川底に埋もれている舟木一夫の缶バッジ」は、誰のどんな人生にも「かすっていない」と思われる。
作った人もそのひとつを意識して作った訳ではないだろうし、舟木一夫はその存在すらしらない。
あるかどうかわからない。
しかしその時点で、すでに僕の人生には「かすっていない」ことがわかる。
おそらく誰の人生を持ってしても「舟木一夫の缶バッジ」は網羅できていないだろう。
生と死を紐でむすんでも、全てを網羅できるとは考えにくい。
こういった方面ではなく、場所を紐でむすめばいいのだろうか。
横浜と成田だろうか。
便利だろうが、全てを網羅しているとは言いがたい。
横浜成田間すら、網羅できてはいないのではないだろうか。
南極と北極だろうか。
全てとは、そんなもので表現しきれるのか。
昔の船乗りなら、海図の対角線がまさにそれだったかもしれない。
しかし今は、線を引こうとしたその先がどんどん遠くに行ってしまっていたりすることが知られている。
そもそも2点を定義して紐づけるということ自体がナンセンスなのかもしれない。
そんなことより、何かおもしろいオチはないのだろうか。
N極とS極を紐でむすぶ。
磁石が持ち運びやすい。
こども店長と菅井きんを紐でむすぶ。
じっとしていない。
自分の左手と右手を紐でむすぶ。
これは例の、落ち着きポイントを探そうと尻ふりを見られたかのように、気分が悪くなるやつ。

探す

コンタクトレンズが取れてしまったとする。
それはけっこう、漫画な光景だ。
しかし周りの人は眉間にシワを寄せて道路に目をこらすあなたを見て事態を把握、探すのを手伝ってくれるだろう。
そして見つかる。
ここで、どんどん「周りの人」を増やしてみる。
まずふたり。
計3人が屈みながら地面を見ている。
さらにふたり。
5人が落ち穂拾いだ。
さらにふたり。
この辺で「もしかしたら服に付いているかもしれません。回って見せてくれませんか」となる。
見つめるふたりの前で回ってみせる。
そしてふたり。
ちょっと範囲を広げてのコンタクトレンズ探し。
ふたり。
「ずっと回っていたんじゃ大変でしょう。わたしが回してあげます」
回してもらっているあなたを見る2、3人。
周りを探す10人弱。
ふたり。
「これは本腰を入れる必要がありそうだ。とりあえずみなさん、松屋に行きませんか」
ふたり。
照明機材を用意しましょう。
ふたり。
水買ってきましょう。
ふたり。
ああそれ、ぼくがやっておきますから。
すいませんねぇ。
ふたり。
ああそこは探しましたから、あっちの方向お願いします。
・・・
こうなってしまっては、誰もコンタクトレンズを探しているのだなんて考えもしない。
もはや「国のきっかけ」みたいなことになっている。
ぼくはここまで探しましたから。
土地の獲得である。
あっち、涼しかったですよ。
避暑地の誕生である。
お菓子買ってきましたよ。
職業の誕生である。
国が土地と避暑地と職業で成り立っているかどうかは分からないが、きっかけとしては十分だろう。
あれ、あのお立ち台みたいなところででプロレス技かけられてるのは誰ですか?。
おなじみの国王である。

詩金の時計塔

先日、重力がどうこう考えていたとき、他の事も思いついていた。
「時間が重力に屈するとき」。
なんかすごくアレだが、思いついた事は至極つまらないこと。
5時30分もしくは6時30分あたりだ。
もちろんアナログ時計で、しかも地と垂直になっていなくては、よくわからないことになってしまうけど。
針がだらりと垂れるところを想像すると、思いのほか寂しい感じがする。
いつも動き続けているものがちからなく静止しているように見えるのは、寂しいのだ。
しかし、その時計は夕日あるいは朝焼けに照らされているだろう。
それは自体は、けっこう悪くない。

体温計

検索される画像第1位は、アイドルでも子猫でもエロ系でもなく「少し高めを指した体温計」だそうだ。
うそだが、あながち遠くはないだろう。
汎用性高いから。
で、これで今日は終わり。
少し高めなもので。