箸で切れる。

大きく考えると、ミルフィーユと豚の角煮はほぼ同じ食べ物と言える。
ミルフィーユのパイ生地は、豚の角煮では赤身の部分。
クリーム部分は脂身である。
その楽しみ方を考えるだけで、このふたつが同じ食べ物であること、むしろ同じじゃなかったら何なんだという気すらする。
しかし決定的に異なる部分もないわけではない。
ごはんがすすむか。
これだけは差異が生じる。
すなわち、豚の角煮をちびちびやるとごはんはすすむのであるが、ミルフィーユは、そうはいかない。
ミルフィーユをちびちびやっても、すすむのはせいぜいコーヒー紅茶のたぐいである。
※この点はむしろ「冷や奴と日本酒」の関係から「ミルフィーユ=冷や奴説」が思い浮かばれる。
実は、これ以外にも「ミルフィーユと豚の角煮は違うんじゃね?」点は存在することはする。
ミルフィーユは、たのしみ部分が交互に、何層にもわたって存在しているが、豚の角煮は、一般的には1.5ターンである。
それは「赤身脂身赤身」の構造で、ミルフィーユのそれよりも見劣りするのである。
しかし考えてももらいたい。
「赤身脂身」が交互に何層もある角煮は、おそらくは豚の調子がかなり悪くないとできない構造のはずである。
したがってそれは異常であり、このことが何ら「ミルフィーユ=豚の角煮説」を揺るがすことはない。
一部の例外はあるものの、ミルフィーユと豚の角煮が同じ食べ物であることは事実だろう。
この考え方に則れば、豚の角煮の柔らかさは、単に柔らかいだけ以上の驚きをもってむかえられるはずである。

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