いわく

「ゲーテ曰く」
これだけで何となく言いたいことはわかるだろう。
「曰く」とつけられる人の存在だ。
一般的に、有名な人でないと「曰く」はつけられない。
斉藤さん曰く「絹ごしではなく木綿のほうがいい」
誰なんだろう。
ただし、ここで注意したいのが、その「誰なんだろうか」感が、別に豆腐のくだりのせいではないというところである。
なんか深さげなことを言ったとしても、有名な人でない以上、「誰なんだろう」感はぬぐわれない。
斉藤さん曰く「究極の節約は究極の浪費に等しい」
誰なんだろうか。
一方、有名であれば「曰く」がついても違和感がないし、さらに「ありがたみ」のようなものが増大する。
川上哲治曰く「優れた打者は、打席に立ったときに打球の描く線が見える」
そしてお察しの通り、特にどうってことないことを言っているときであれ、有名な人は「曰く」の恩恵をいけることになる。
川上哲治曰く「3倍モードで録画せずにはいられない」
なにそれ録画に値することだと言っているのか、逆にそうでないのか。
考えてしまう。
我々は、どうにも有名人の言うことには何かしら隠された意味があると考えがちなのである。
まさに「曰くつき」ってやつだ。

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