劣化する代替案

ある、おいしい中華屋さんに入った知人から聞いた話である。
注文したラーメンに箸を入れたとき、金たわしのかけらが入っていたという。
それとなく指摘したところ、それを詫びた店員さんは帰り際、腐ったみかんをくれたのだそうだ。
「腐り」の件が故意であるのなら、これは人類文化にとって大事件なのではないだろうか。
それは「代替が代替をなさなくていいという思想」。
代替が必要となった時点で、被代替者の不利益が決定しているのだ。
「家の天井、発注内容よりもだいぶ低いじゃないか!!」
「じゃあ、かがみながら生活してください」
「イ・ビョンホン似ってメールにはあったのに、全然違うじゃない!!」
「まずはランチにでも行こうか」
「ピザ、注文したのと違うんですけど」
「これ超おいしいっすよ」
その後いろいろあって、むしろ代替以上のものを得られました、ということもないことはないだろうが、たいがいは不利益となってしまうはずだ。
そんな思想がこの町から発祥するとはね。

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