隻眼の色気

いま、ミニものもらいができている。
もう少しひどくなったら、眼帯が必要になるだろう。
ところで僕たちは隻眼というものに、妙な魅力あるいは色気のようなものを感じることがある。
実は例が鬼太郎氏と綾波氏くらいしか思いつかないのでごめんなさいなのだが、アニメなどで登場するミステリアスな少女は、たいがい片目が髪の毛で隠れていたりする。
そして海賊や先日も登場した伊達政宗も、単に「眼、怪我しちゃってます」なアイパッチがなんだか魅力的だったりする。
一般的に目は物言う器官らしくて、当然それはより「見えている」方が外見上いいはずだ。
しかし一方で、それが片方隠れていることがナイス、というのは面白いところだ。
母性本能のようなものが生じるのだろうか。
不謹慎かもしれないが、畸形へのあこがれを持っているのだろうか。
後者については、古今問わずいろんな見解が既に提示されているようだ。
それに当ブログではちょっと手に余る内容でもある。
僕が一つ目小僧というものに怒りを感じるのは「お前確実に人を驚かそうとしているだろ」が出過ぎているためだ。
もう上記にある、一種のわびさびなんて、あったもんじゃない。
どうも最初から一つ目という状態では、僕らはいまいち魅力を感じ得ない。
それに「ばあ」とか言って出てきてみろ。
人を驚かすときに「ばあ」って、もう久しすぎる。
ただ、じゃあ他に言うことあるのかと考えると、なかなか難しい。
「わっ」とか「がおー」だろうか。
「ひとつめー」は怖いだろうが、ちょっと驚かせるタイミングを考えると長いか。
「明朝、命もらい受けるー」も怖いだろうが、長い。
「あまり自信ないですけれどー」と言われたらかなり怖いだろうが、これも長い。
驚かすという行為は、一瞬なのである。
彼らの存在意義は、その驚かせる一瞬であることは間違いなさそうだ。
そしてそれは「40年に一度しか花を咲かせない植物」や「100年に一度のご開帳」よりも濃密だ。そしてしょうもない。
そういった意味でも、単眼となってしまった羊が誕生した時点で短命であることを約束されているのは、仕方がないのかもしれない。
・・・今日って何の話だっけ。
追記
一つ目小僧が眼帯をして登場してきたら、なかなかこいつはスジがある、という気になりそうだ。
そんな状態でものにぶつかったり(電柱がベストか)していたら、それは別の魅力、愛着が出てくるだろうし、あるいはそんなそぶりを見せないようなら、結局彼はその単眼で環境を認識しているわけではないことを露呈していることになり、なんやその単眼はやはり驚かせるためだけの機能なんだろと問いただすことができる。

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