記憶と新人劇団員

恩田陸の文庫本を読んでいたら、何箇所かにデジャヴという言葉があった。
恩田陸はデジャヴが好きである。
そうかどうかは分からないが、ちょっと考えてみると「デジャヴが嫌いな人」というのはいなさそうなことに気づく。
「うわこれ、何かどこかでおんなじことをやった感じがする・・・。きもっ、死にたっ」
あまり聞かない。
どちらかというと、デジャヴな感覚はみんな好きだろう。
なにせデジャヴな感覚に陥った人は、確実に「もうやったことある感じがする?」と身近な人に報告してしまうくらいだから。
報告することだったら「私、ついに便意を自在にコントロールできるようになりました」など、他にもあるだろうに、それを抑えてデジャヴのことを報告してしまうのである。
それはどうやら、楽しいことらしい。
ところでデジャヴは既視感と訳されるようで、その反対、未視感というものがある。
それは「見慣れていたものが全然知らんものに見える」ということらしく、ジャメヴというそうだ。
デジャヴもなかなかだが、ジャメヴは、いいね。
敵1グループを毒状態にしそうな感じだ。
それに意味が、幼なじみへの恋愛フラグみたいでもある。
この、幼なじみ1グループを魅了状態にしそうなジャメヴ。
少し違うかもしれないが、多少なりともそんな気持ちにさせる事柄を経験した人は多いだろう。
僕はよく、そこらでひっくり返っている飼い猫に対して「あれ、お前だれ?」みたいな動作をしてみる。
「お前、どこの猫?」
はっと気づいたかのような動きをし、猫の様子をうかがってみるのだ。
そうすると、猫も大したもので、なんとなく雰囲気を把握するらしく、さっと緊張状態になり「え、私のこと見覚えありません?」みたいな感じでこちらをうかがい返す。
こんなことをよくやられては、猫としては「あれこの人、前も忘れちゃってなかった!?」という感じだろう。
かわいそうである。
ちなみに、このやり取りから生まれたことわざが、あの有名な「ジャメヴのデジャヴ返し」である。
この文はいらないか。