さじ加減

物事には「さじ加減」というものが必ずあり、それを見誤ると、特に何もないけど少し反省することになる。
先日、知人が僕の帽子について反応を示した。
どうやら故・天本英世氏がよくかぶっていた帽子と似ていると言いたいよう。
確かにその日、そんな感じの帽子をかぶっていた。
僕は何の気も無く、ああ死神博士ね、と言った。
その後わかるのだが、知人にとって、天本氏は死神博士ではなく、平成教育委員会であった。
そして死神博士であることは知らなかったようだ。
僕は知人の「しにがみ、はかせ?」的な態度を瞬時に読み取った。
冒頭の「さじ加減」を考慮するなら、やたら凍ったアイスに歯が立たない木のさじ、といった感じだった。
僕はすぐにフォローを入れた。
イカデビルですよ。
さじが、折れてしまった。
少々凡庸ですいませんなのだが、僕にとって天本イメージは、イカデビルが群を抜いていた。
「イカデビルイカデビル、死神博士イカデビル、教育委員会イカデビル、帽子イカデビル、おじいさん死神博士」
こんな感じ。
仮面ライダーを見ていたわけでもなく、何故かはわからないが、とにかくイカデビルだった。
しかしそうでない人にとっては、死神博士ですらわからないのに、唐突のイカデビルである。
「いったい何なんだ、イカデビルって・・・」
そんな雰囲気になったのだが、どうしようもない。
さじ加減がわからないイカデビルの詳細解説は、危険すぎるのだ。

石焼き

これは場所によるのかもしれないが、近所の石焼きいも屋ではこんなのがスピーカーから流れる。
「いーしやーきいもー」
これは普通。
石焼きしているのが芋であることもわかる。
しかしだ。
「いーしやーきいもー」のあと、「おいもだよっ」って言うのだ。
さすがに僕も大人なので、「しってるよっ」というのは心の中だけにしているのだが、それにしてもなんだその念押しという感じ。
「おいしいよっ」とかだけでいいじゃないか。
と、ここまで書いて石焼きいも屋では芋以外のものを売っていて、そのなかのひとつに芋もあるのだよということを示しているのかも、と思った。
「いーしやーきこーん」
「もろこしだよっ」
聞いたことないね。
とにかく、「おいもだよっ」以外にも言ったほうがいいことはありそうだ。
「いーしやーきいもー」
「いしやきだよっ」
「いーしやーきいもー」
「ほっこりだよっ」
「いーしやーきいもー」
「きいろいよっ」
どれもなかなかに購買意欲を高めるではないか。
「いーしやーきいもー」
「行っちゃうよっ」
「いーしやーきいもー」
「売ってるよっ」
「いーしやーきいもー」
「体が求めてるよっ」
この際、他のも売りたいところだ。
「いーしやーきパンー」
「ヤマザキだよっ」
「いーしやーき牛ー」
「しもふりだよっ」
「いーしやーきくりー」
「イガないよっ」
「いーしやーきサウナー」
「湿度だよっ」
「いーしやーきいもー」
「未婚だよっ」
こんな感じで、もう正月。

おばさんのカバン

以前書いたかもしれない。
おばさんによくあることなのだが、すごくカバンの中が見えているのだ。
電車の中で、そんな赤裸々はいらんのだが、とにかく見えてしまう。
よくわからんガマクチポシェットには化粧品が入っているのだろうか。
その、ポケットティッシュを入れる布製のやつは、どこで売っているんだ。
見えている以上、そんな無粋なことを考えないこともないわけで、双方にとってよろしくないことになっている。
「家で見てみたら、知らないガムの包みが入っていた」
「知らないイヤリングがカバンの中に落ちていた」
「5円玉が入っていた」
そんなことになってるんじゃないだろうか、おばさんのカバン。
お、なんかいいな「おばさんのカバン」。
「みんなのうた」にありそうじゃないか。
とにかくリラックスしすぎなのだ。
そんなだと、よからぬものを入れられてしまうぞ。
「奥さんすいません。鉄道警察のものです」
「奥さんのバッグに薬物が隠されているという情報が入りまして」
「ちょっと検めさせてもらいます」
バッグに手を入れ、隠し持っていた粉末袋をつまみ出す。
「奥さん、これはどういうことですか!!」
そして粉末をひとなめ。
「ん、これは恋のマジックポーションですね。奥さん、お茶でもどうですか」
熟女好きのかた、どうでしょう?。

丘の上、微風あり

僕はあんがい譲歩ゆとりが大きいのである。
それはどういうことかというと、例えば。
僕が「からあげクン」を買いに行こうかというとき。
チーズ味を入手しようと思っていても、他の人がノーマルを所望したら、そこはノーマルにする。
そして僕2、相手3で食べたりする。
へたすると食べない。
そのくらい譲歩できるのだ。
気分しだいだけど。
先日、ある場面にてこんなことが話題に上がった。
「だいこんの着ぐるみ」
ひどくなじみのない話題ではあるが、とにかく話題になった。
そのとき、僕は何の躊躇もなく、こうつぶやいてしまったのだ。
「それほぼマンドラゴラやん」
これもひどくなじみのない言葉である。
モノとしては、ファンタジーやゲームに登場する植物で、人型をしたものなのである。
今ではこの発言も、だいぶどうかと思う。
しかし、このとき少々テンションが上がっており、そんなときは自分だけ面白ければいいので口にしてしまった「マンドラゴラ」。
唯一そのことが聞こえたらしい人物がじろりと僕を、「またこいつめんどくさいことを」という目つきでにらんだ。
僕、譲歩しました。
「それほぼ朝鮮人参やん」
今回、僕は反省を持って書いているわけですが、結局は「だいこんの着ぐるみ」をどうこうと転がす必要がなかったのです。
無理に扱わなくてよかった。
譲歩の対象でもなかった。
「だいこんの着ぐるみですか」
「だいこんの着ぐるみですね」
これでよかった。
それを、朝鮮人参云々。
快晴。
身がしまる思いのする外の空気と、透き通った青空。白い息。
それを、朝鮮人参云々。
マンドラゴラを引っこ抜きたい気分である。

ジェンガ

正直、僕はジェンガのことをあまりちゃんとは考えていなかった。
しかし先日、こんな光景を見て深く反省した。
「ジェンガは何て雄弁なんだ」と。
詳細は省くが、簡潔に書くと「くずれたジェンガの前で、人が話す」という光景だ。
想像してもらいたい。
「くずれたジェンガの前で、人が話す」ところを。
どうだろう。
どんないいことを喋ったとしても、なんだかネガティブな感じになってはいないだろうか。
「感慨深い話をしているが、ジェンガはくずれている」
このとき、僕はひどく興奮してしまい、周りの「あらあら」な目をよそに「この面白さは今年一番だ」と連呼してしまった。
あとから考えたのだが、ジェンガをプレゼンなどに利用できないだろうか。
学校で何かを発表するとき。
あなたは教壇に立つと、おもむろにジェンガを置く。
みんなは動揺するが、あなたはプレゼンを開始。
そして要所要所でジェンガのパーツを抜いていくのだ。
くずれたときが終わりであることなぞ、説明しないでも教室全体にいきわたっている。
緊迫したプレゼンである。
ちゃんと言うと、緊迫したジェンガになるだろうが、そこは吊り橋における勘違い恋愛感情のようなもの。
緊迫したプレゼンとなるだろう。
そしてなによりも、みんなプレゼンを聞かないだろう点が重要なのだが。

のろけ

え、うん。
そりゃあ、面白いこと言いたいって気持ちはあるよ。
うん、うん。
それできみが笑ってくれるんなら、なおさらだってば、うん。
うん。好きだよ。
本当に、本当。
うん、うん。
うん?、うん。
え、好きなら、今、え?。
電話でいいから?。
今、面白いこと言ってみせて、って?。
え、ちょっと。
今はまずいでしょ。
知ってるでしょ、現状。
電話してるのも、あれなのに。
え、うん。うん。
いや、そうだけど。
うん。あー、うん。
いや、ね。
うん。わかったよ、いくよ。
「はい赤の鶴瓶が早」
あ、すいません。
ちょっと、もう少しなんで、はいすいません、ほんと。
・・・ちょっとまずいよ。
できなさそうだよ。
今だって、電話のことをとがめられたのか、ネタが面白くないことをとがめられたのかが気になって仕方がないよ。
うん。うん。
え、じゃあ、私の?。
私の好きなあれをやってくれたら?。
知らないよ、君の好きなやつなんて。
そんなに披露してないよね。
え、そうだったっけ。
いや、うん。忘れてなんかないよ、本当。
うん、うん。
わかったって。うん。
「どっちにいこうかマンゴスチー」
あ、本当にすいません。
ごめんなさい。
ちょっと私用が過ぎてまして。はい。
すいません。
え、マンゴスチンですか?。
いや、僕はちょっとわからないですね、マンゴスチンについては。
あ、はい。
もうやめますんで、はい。
いや、すいません、本当に。
・・・もう切るよ。
・・・いくよ。
「わー本当に川上からクリスマスキャロルが流れてき」
電話が切られた。

らくだねぇ。

こないだ、こんなことを書いた。
「いやあ、横線を描くのがうまい上に縦線もうまい。これで円を描くのもうまいってんだから。絵がうまいねぇ」
これを踏襲。
楽する。
=====
「いやあ、大改革なうえに、教科書に載ってるとか。これであとひく名前だってんだから。ペレストロイカだねぇ」
「いやあ、こんにゃくがうまい上に大根もうまい。これでねりものもうまいってんだから。おでんだねぇ」
「いやあ、スピードが出る上に高度もある。これでとんがってるんだから。コンコルドだねぇ」
「いやあ、あたたかい上にうるおう。これで沸いて出てくるってんだから。お湯だねぇ」
「いやあ、強いうえに心がやさしい。それでいて男前だってんだから。馳浩だねぇ」
「いやあ、強い上にかっこいい。さらには出にくいってんだから。ロイヤルストレートフラッシュだねぇ」
「いやあ、横に動けるうえに回転もできる。それで消えるってんだから。テトリスだねぇ」
「いやあ、涼しいうえに米がうまい。さらには鍋も有名なんだから。秋田県だねぇ」
「いやあ、木村拓哉がいるうえにKAT-TUNもいる。これでジョニー・デップまでいるってんだから。男性だねぇ」
なんか、パクリくさいので、ごめんなさい。

雰囲気二択

「あまりにゆるいカレーが登場したとき、それをカレーと見なすのか、それとも新規の料理と見なすのか」
あくまで例ではあるが、そういうことなのだ。
この論題に対し、一般的なのが「この不況をチャンスととらえるか」である。
今日この頃の雰囲気。
しかし実はこれ、時期状況を問わず、たいてい目の前にいつもあるものなのだ。
「失敗した目玉焼きを目玉焼きと見なすのか」
いつ起きてもおかしくない事象。
そしてそれはすぐに問いかける。
「おいおい、俺のこと、スクランブルエッグって考えてくれても、いいぜ?」
個人的にではあるが、僕は目玉焼きのことをハードボイルドキャラだと思っているため、こんな口調にしてみた。
「でも、オムレツだなんて言い出したら、堪忍袋の緒をゆるめるぜ?」
この時点で、かなりのたまご料理法名が乱立していることに、僕も驚きである。
「サニーサイドアップにはなれなかった俺だけどな」
美味しんぼか、お前は。
ちなみにこの卵は総受けである。
さて、話はさらに大きく変わるが、僕は卵の白身はどうにかして固めたいタイプの人間である。
だいぶ昔、カラザ(生卵の白身にある、もにょもにょした白いやつ)が半分口内、半分喉みたいな位置で止まってしまい、ひどくつらい思いをしたためだ。
白身さえ固まればカラザも思うようには動けず、おいしく卵をいただけるのである。
ざまあみろカラザ、である。
カラザが動けなくなることに、おそらく白身自身もうれしいだろう。
と、こういった背景があるので、白身には火が通っていてもらいたいのだが、一方で黄身は半熟であってほしい。
いかんせんわがままなのだが、調理時にフタを用いることで、案外簡単に「白身が硬く、黄身がとろりした目玉焼き」が、完成することはするのだ。
美味しんぼか、お前は。
ということで、本日。
「物事の二通りの考え方について書かれたのか、それとも卵について書かれたのか」
終わり。

づくす。

「何々づくし」というのがなんだか面白いような気がした。
「豪華有頭えびづくし」
「カニづくし」
意外に例が思い浮かばず、何故か甲殻類「づくし」になってしまって恐縮だが、まあそういったときに使う「づくし」のことだ。
意味は「ばかり」「だけ」というものだろう。
ただ一般的には、たいがいがポジティブなときに使われるだろう。
「金塊づくし」とか「しあわせづくし」とかはあるが「今月仏滅づくし」や「画鋲づくし」などは、普通ない。
となると気になるのが「づくし」を使っていいかどうかの境目だ。
ここにさっき感じた「づくし」の面白さがあるに違いない。
「木目づくし」
うわあ。
いいか悪いか、全然わかんない。
彫るには都合が悪そうだ。
美術の時間、木目に苦労した人は多いだろう。
しかし味があるという向き、もあるかもしれない。
ただ木目って、それこそ目みたいで。
天井の木目が気になって眠れない幼少期を過ごした人も多いだろう。
まあ、5行に渡ってその善悪が語れるくらい、いいか悪いか、全然わかんない。
「はさみづくし」
怖い。
どんなおもてなしをされるか、わかったもんではない。
供養。
供養か何かなのだろうか。
「きみまろづくし」
正直ほんとにそう名づけられた何かがあるような気がするが、調べない。
ただ、実際づくされたCDはあるくさいし、づくされた人たちも多い。
「梵語づくし」
これも困る。
誰かに「自慢じゃないんですけどこれ、梵語づくしなんですよ」と言われたとき。
喜んでいいのかいけないのか。わからない。
ただ、とりあえず読めないであろう。
「積み木づくし」
まあ、礼儀ですな。
「千羽鶴づくし」
これはいい具合。
もちろんここでいい具合とは「いいか悪いかを判断しかねる」ことだ。
何がそうかって、この言葉が生まれるだろう物語の登場人物に、悪い人は一人もいないことがそうだ。
ということで、みなさんも自分の何かを誰かにづくしてみてはどうだろうか。
そうすると相手が言う。
「すぐそうやって色気づくし」
こういう終わり方って、新しい自分になれた気がするよね。
追記
別所実の本が「○○づくし」だった。
やっぱ「づくし」だよな、昨今。