条件

既成概念というものが何かを邪魔していることは、この世の中、少なからずありそうである。
例えば幽霊。
いきなり例が最悪で、かつ幽霊に概念ともなると、方向性によってはその存在有無にまで話が発展しそうだが、まあ大丈夫だろう。
「幽霊」。
何の意図も持ち合わせいないとしても「女性の幽霊」は十中八九「色白で髪の長い美人」である。
着衣その他差異はあるが、「女性の幽霊」の話題では「色白で髪の長い美人」を想像してほぼ間違いではないのである。
一方「男性の幽霊」はそこそこブレる。
たいていは「落ち武者」であるが、たまに「サラリーマン風」も出現、多様な霊環境を形成しているようだ。
さて、今回は「女性の霊」の方で考えてみる。
ここで既成概念の与える影響としてはこんなことが考えられないだろうか。
「女性の幽霊は色白で髪の長い美人という既成概念があり、それが様々な心霊体験もしくは勘違いを矯正してしまっているのではないか」
「ショートボブで普通の人の霊」を見ても、闇夜で蠢く森三中を見ても、既成概念のせいで「色白で髪の長い美人」になってしまう。
それ以外の霊、事例もあるのだろうが、それは「女性の幽霊=色白で髪の長い美人」の先入観の前では、アメ横の雑踏の中に落とされてしまったビードロのおもちゃのように、はかない。
ひどい話である。
髪の短い霊の、髪を短くした意味を損なわせ、森三中のアイデンティティを奪う。
これが既成概念というやつか。
そしてビードロのくだり、いらないか。
なお、今回の話題が幽霊である以上、その姿については生前のことも視野に入れなければならないだろう。
例えば、この既成概念が生まれた背景として、こんな事実がそこにはあるやもしれない。
「色白で髪の長い美人しか幽霊になれない」
これが事実だったとき、「色白で髪の長い美人(存命中)」は喜んでいいのだろうか。
また、こういった考え方もできるだろう。
「女性は死ぬと、あの世で「色白で髪の長い美人」っぽく仕上げられる」
誰の趣向かは知らないが、そんなことも考えられる。
そして、この趣向にどうしてもそぐわなかった人が「高速で追いかけてくる老婆」や「鞠をつく幼女」など、マイナーシーンを飾る女性幽霊の座を獲得できるのかも知れない。
して、この方向を進めていくと、もちろん男性側はこうなる。
「落ち武者しか幽霊になれない」
「男性は死ぬと、あの世で「落ち武者」っぽく仕上げられる」
「サラリーマンしか幽霊になれない」
「男性は死ぬと、あの世で「サラリーマン」っぽく仕上げられる」
あまりに腑に落ちず、これは死ねないね。

スルダケーション

Wizardryやエルミナージュ、世界樹の迷宮や剣と魔法とうんぬん、今日このごろ、涙そうそう。
ある方向性を確立あるいは目指しているRPGがある。
これらのいいところは「基本的にうろうろするだけでいい」点だ。
正直、攻略本片手というのが性に合わないのである。
見るのは好きだけど。
どうも「やっとイベントクリアしたよー」と「うろうろしてたらいいアイテムが手に入りました」を天秤にかけたら、後者のほうが重く、そして真実の羽とは釣り合うようなのである。
ところでなんなんだ、真実の羽。
サブいな。
とにかく上記のゲームは、すぐキャラクターが動かなくなったりすることはするが、基本的には「うろうろしていればいい」というのが、気楽でいい。
「かんたんミルクと混ぜるだけ」
以前触れてしまったが、おそらくフルーチェである。
嘘だったらごめんだが、これも混ぜていればいいらしいのが、いい。
「ごはんと混ぜるだけ」
おそらくちらし寿司である。
これも消費者のことをよく考えてくれている。
「6つの数字を選ぶだけ」
宝くじである。
そのくらいなら、何かついでに簡単にできちゃうぜ123456!!。
と、これが長めイベントのRPGだったらどうなるか。
「村長と話してフラグを立てるだけ」
「西の洞窟でレベルを上げるだけ」
「ボスを倒して城の前の広場の人に鍵をもらうだけ」
こんな感じ。
あらなんだ、案外うろうろするだけでいい感、あるじゃないか。。。

手持ちぶさた その2

昨日から。
【あらすじ】 
手持ちぶさたな人にこれを与えておけば、両者安心、みな家族。
ぷちぷちとかは、なんとなく除外。
=====
手持ちぶさたな人には、適切な道具を与えなくてはならない。
例えば、誤って切符を渡してしまった場合、彼はあなたと会話しながらそれを折り、裂き、改札口で、きみのことを待つ。
裂かれた切符を駅員に赤面しながら説明するきみを。
ということで、手持ちぶさたな人にはこれを渡してみては?、という今回。
◆使用済み鉄板とコテ
彼はあなたと何気ない話をしながら、ずっとシャコシャコし続けることだろう。
そのおかげで鉄板はきれいになり、それは気持ちいいことだ。
お店の人も大助かりだし。
◆コロコロ掃除用具
前回の「ほうき」とかぶる面が多々あるが、コロコロのお手軽さがうれしい。
その行動範囲も広くないため、例えば部屋の中での会話中などで相手の「禁断症状」が認められたら与えてみるといい。
彼は三日ぶりに蜜を与えれたカブトムシのようにコロコロに吸い付き、ころころするだろう。
床の毛も取れる。
また、彼は「手持ちぶさた」なので、テープを綺麗に切ってはがしてくれるだろう。
◆針の入っていないホッチキス
あなたが彼の「手持ちぶさた」なことを理解している限りは、有効なツールである。
逆に言うと、それがないとちょっとカチャカチャ音が気に障るので注意だ。
また、誤って針の入ったものを与えてしまうと、彼は意味もなく閉じた針が大量生産されることをおそれ、カチャカチャしない。
そうなると、そのおそれと手持ちぶさた未消化が彼を野獣化、がうがう言い出すので注意だ。
余談だが「美女と野獣」でせっかく人間に戻れた彼、ディズニーランドでは再び野獣として登場し、人気なのだそうだ。
えらいと言えるが、人間の姿で登場、「誰?」と感じになってしまうからのしぶしぶ野獣化、との意見も。
◆チョロQ
手持ちぶさたな人にチョロQを与えると、おもしろい。
彼はかならずコースを作るだろうし、チョロQのおしりに10円をはさもうとするだろう。
車体をひっくり返してタイヤ部分を指でなぞるだろうし、分解すらしだすかもしれない。
アナスイは手持ちぶさたなのである。
◆こま
何気にかなり面白いのではないかと考える、手持ちぶさたな人にこまを渡す。
彼はこまを回すだろうし、回っているそれに息を吹きかけたり、ティッシュを乗せたりのミニ実験をしだすだろう。
もちろんあなたの話はちゃんと聞いているが、こまの方が面白くなってしまうかもしれない。
その会話の締めに「まあ、何事も回るこまみたいなものだよ」ときたら、そいつを殴りに行こうか。
◆紙とペン
最有用ツールだ。
単なる線でもいいし、円でもいい。何かを書く行動が「手持ち」を「ぶさた」させない。
また、下手すると何かすばらしいものが誕生したりするので、その点が観測者でもあるあなたの、数少ない楽しみのひとつとなるだろう。
まあ、そうとまではいかなくても、ちょうどこの文章くらいのことを書いてくれるかもしれない。
かもしれないんだったら!!。

手持ちぶさた その1

CMでは松平健がやっているためイメージが変容してしまったかも知れないが、レレレのおじさんは奇妙である。
まず耳。
前に書いたかもしれないが、あの妙な長さ。
あとはシュレックとじょうごくらいしかいないんじゃないかという耳だ。
じょうごは耳ではないが、とにかく外耳特異すぎ。
そして何よりもその行動。
彼の行動、それはほうきであたりを掃く、これだけである。
確かに頭頂部とあごを、これまた特異なフィンガーサインではさむという点もよくわからないが、とにかくいつも掃いているのである。
「ある薬物の中毒者にほうきを持たせると、一日中そこらを掃いている」
比喩なのか本当なのか。
そう書かれた本もあり、それを考慮しなかったとしても、やはり妙なほうき掃きっぷりだ。
本題。
こんなことを書かずとも、要は「手持ちぶさたな人」に何を与えればよいのか。
それが本筋でした。
おじさん、関係なかった。
上記の例なら、ほうきを与えれば彼は落ち着き、あたりもきれい。
そんな感じを次回。

10円玉

電車内に設置されているモニタに、雑学的なクイズが出題されることがある。
「花を見るとさわやかな気持ちになりますね。ところで花びんの花を長持ちさせるためには、あるものを花びんの中に入れておくと効果があります。それは何でしょう」
10円玉だそうだ。
僕としては「花びんの中の10円玉」と「さわやか」がどうしても結びつかない。
「霊験あらたかな池に投入されている小銭」
厳かな感じもするにはするが、少なくとも「さわやか」ではない。
どうも人間には「水のたまっている場所に小銭を投入する」癖があるようで、何もまつられているようでなくとも、やや珍しい石のくぼみの水たまりにも小銭が入っていたりする。
どんなものにでも神が宿るという、八百万な考え方だろうか。
悪いことではないが、「水に小銭」というシーンで、このことが与える印象、影響はでかい。
今回の「花びんに10円玉」も例外ではなく、「花を生かす」「さわやか」どうこうよりもまず、「何?、なんかまつられてんの?」のイメージが先行し、混乱を招く。
そして「花を生かす」事実を知ったとしても、今度は「花の生気と10円玉」の関係、比較にまた、苦しむのである。

薄着と軽薄

非常に薄着だと言われる。
しかしそれで誰かを害することもないのだからいいじゃないかと思っていたが、あまりに寒そうで怒りだす人もいる。
ごみんなすい。
ただ、僕としては厚着をして汗をかく、または暑いので上着を脱ぎ荷物が増える、それがいやなのだ。
そんなことになるのなら、まだ半袖半ズボンでランドセルから竹製の30cmものさしを飛び出さし、雪の日に立ちションで文字を書くほうがましだ。
この季節、混雑した電車の中で暑くなってしまったら最悪。
逃げ場がない。
暑くて気分も悪くなりだし、はあはあ言うことにもなる。
電車の中ではあはあ言い出したら、だめである。
以前、座席に買ったばかりらしい電車の模型をおっぴろげて嬉しそうにしていた男性を見たことがあるが、それはあまり関係ないか。
とにかく薄着なら、例え10年間探し続けていた両親の仇が目の前に突如として現れたとしても、暑くなりすぎることはない。
ある程度の寒さなら、全身の筋肉を一瞬硬直させたのち、「はーっ」とかいうことでどうにかなるわけで、その点でも薄着で困ることはないのである。
【客観的かつ超曖昧に捉えて、あそぼう!!】
すごく薄着の男が「はあはあ、はーっ!!」って。
その人、電車の模型を持っていたんですけど、それを「はあはあ」のときに2往復、地面上で動かしたんです。
「は」→荻窪
「あ」→西荻窪
「は」→荻窪
「あ」→西荻窪
こんな感じです。
そして、「はーっ!!」のところで、模型折ったんです。
さとうきびを折るかのように。
びっくりしましたよ、本当に。
測ってみたら、7cm、12cmでした。
でもその薄着さと奇行が、両親の仇を油断させるためのものだったなんて。
とんだ策士ですよね。
そんな風に証言した女性を目の前にし、僕は一瞬硬直してしまったが、それに悪意のないことがわかると思わず半ズボンを下ろして立ちションをしてしまった。
しかもおっぴろげて。
当然のように怒り出す人がいる。
しかし逃げ場がない。

カレーが食べたい

最近カレーを食べていないから、そろそろちょうだいしたなぁと思ったその日に、シチューだ。
こちらの心情を逆なでするのかのようなシチュー。
シチューは、食品会社による執拗なプロパガンダのおかげで今日、家族であったかよかったね食として揺るぎない地位を確立しており、これがあれば、あとはやさしいママとケーキを買ってきてくれるパパで、何かの必要十分条件を満たす。
よって、常にいがみあっている関係であったとしても、シチューが石油ストーブの上で湯気を立てている日くらいは、居間でトランプでもしようよの雰囲気になるものだ。
そんなシチューが逆なでする、カレー心情。
何が気に食わないかって、その材料があれば、カレーができたじゃない!!というところだ。
カレー、おいしいじゃない!!。
また、同類の気に食わな点だが、シチューの次の日はカレーではないという事実だ。
材料が同じということもあるのだろうが、どうもシチューとカレーはそれぞれ目指す方向が同じと考えられており、そんなものを連続した日には出せないと思われがちなのである。
だから明日はカレーじゃない!!というところだ。
カレー、おいしいじゃない!!。
さらにこの考え方は、ちょっとした奇跡がかなっていれば、カレー2日連続となった可能性も示唆する。
「カレーを作った翌日に、別のカレーをまた作る」
一見無駄が多く、変な手間かかるだろうことだが、悪いことではないし、一晩寝かせたあのうまさは、メーカーがどうにかしてくれる。
バーモントと非バーモントを食べ比べることもできるし、ちょっと冒険したカレーも楽しめるだろう。
そんなわけで、まだカレーは食卓にない。
そんな環境でトランプなんぞできるか!!。

あだ名5

くそう。
こんなあだ名だったら、昔の名前で出ていなくてもいいやのコーナー。
◆みすちる
用法:
「みすちるの背中、超ぬれてる」
由来として考えられるもの:
カラオケで誰かがミスチルを選曲すると、一緒に歌っていいか確認してくる。
苗字が桜井。
◆うんてい殺し
用法:
「うんていのうわばき、ガムついてたよ」
由来として考えられるもの:
うんていがすごく早い
背が高く、うんていがうんていを成さない。
◆継母
用法:
「いつも継母って後ろにいるのな!!」
由来として考えられるもの:
父の妻であるが、実母や養母でない人(yahoo辞書より)。
◆あたりめ
用法:
「あたりめ超うめえ」
由来として考えられるもの:
家に行くと、かならずおやつがあたりめ。
彼女の冗談が放課後にやたらと効いてくる。
◆おまめ
用法:
「おまめのポケットって、ハッピーターンの袋ばっかじゃね?」
由来として考えられるもの:
黒豆の、おべんとうのおかず割合が高い。
小動物の雰囲気。
本名ふじこ。

どうも発生2

昨日から。
【あらすじ】
ベッドの下から、すごく育ったほこりが採取された。
=====
この、一見手塩にかけました感ありのほこりを発見したとき、僕はあることを思い出した。
耳掃除をするとき、なんか硬いものが耳掻きに当たるのである。
かさかさいう。
耳掻きから伝わるその感触は、まるでかさぶたのよう。
僕はこれを「取り損ねた結果、育ってしまった耳垢」だと考えている。
このまま残しておいては、上記のほこりと同様に「育ってしまう」恐れがあるため、どうにかして取りたいのだが、それはかさかさいうばかりでなかなか取れない。
かなり強めにアプローチしても、耳の中が痛くなるばかりである。
と、どうやっても取れないことが分かると、今度は取っちゃいけないものなのではないかと考えるようになってきた。
器官というか、僕が知らないだけの、何らかの働きを持つかさかさ。
そんなものがあるのかもしれない。
もちろん気持ち半分は、そんなものはないと感じている。
しかし、それでも取らないほうがいいという方針になりつつある理由が、「取ってみたらすごい色だった」場合の恐怖だ。
赤ならいい。
何か傷があったのだろう。
茶色なら、それはやはり「育ちつつある」ものだったのだろう。
鮮やかな青は怖い。
耳から鮮やかな青いものが出てくるのは、ファンタジーだ。
銀色も怖い。
耳から銀色のものが出てくるのは、サイボーグか、銀の紙ふぶきの中踊っていたダンサーだ。
また、取らない理由には「何かのスイッチだったら」という危険性もある。
加速装置などならいいが、誰かのうちのテレビが勝手に付いていたりしたら大変だ。
耳の中に何らかのスイッチがあるはずはないが、いったんそんなことを考えると、なんとなく気になってしまう。
耳掃除をするとき、このかさかさには正確に偶数回、触れるようにしているくらいだ。
ともあれ、僕のへやのほこりも耳垢も、後半の嘘も順調に育っているということである。

どうも発生

先日部屋を掃除していると、ベッドの下から「だいぶ育ったほこり」が採取され、おどろいた。
灰色のそれはこんもりしていて、まるでマリモだった。
それを処分したのち、なんとなく昔、浮いたマリモが死んでしまったと思い、一生懸命沈めた記憶がよみがえってきた。
ほこりはたまってマリモになる。
どうも自然発生的で、ここに汚れたシャツを入れたら、マリモより高度な生物が生まれるかもしれない。
しかし、ここで注目すべきなのは自然に発生するマリモやすすわたりではなく、誰のシャツを、さらにいうとどんな状態の誰のシャツをほこりに投入するか、というところだろう。
有機的なものが自然発生に必要である可能性、それが汗だったりするといいかも、という点を考えると、汗かきさんのパジャマがいいかもしれない。
人は、寝ている間に汗をやたらかくそうだ。
さらに有機なものとしてケチャップをピックアップすると、ここでは「ケチャップをこぼしたパジャマ」が発生しまくりの方向にある。
「汗かきさんが食パンにケチャップをかけようとしたが寝ぼけていて、自分のパジャマにかけてしまった」
自然発生予備軍垂涎のパジャマである。
ただ、これは当方主観になるのだが、僕がこの手のシチュエーションで自然発生しなさいと言われたとすると、どうせならマヨネーズをこぼしたパジャマから発生したい。
つづく。