自分との対峙

「ボトルシップ」をご存知だろうか。
ビンの中に、到底そのままでは入れられないような船の模型が入っている。
ビンの口からパーツを入れていき、ピンセットなどを用いてビンの中で模型を作るのだ。
この「ボトルシップ」。
普通の人は少しずつ模型を組み立て、何日もかけてその完成を目指す。
しかしある人は、ビンの中にパーツを全てと接着剤を先に入れ、それを何回か振ることで船の模型を完成させる。
この人物「名人」は、その筋ではかなり有名で、ファンが多い。
ファンによっては「名人」の船の模型を見て、何振りして完成したものかを言い当てることができる。
またあるファンは「名人」の船を模した模型を作成、タイムアタックを行っている。
「最初のひと振りですかね、重要なのは」
角田さんは「名人」と呼ばれることに、まだ慣れていないという。
著者はそんな人がいるかどうか知らなかったが、せっかくなのでそのテクニックを見せてもらおうとお願いした。
それを快諾した彼は、昼食にと著者が買っていた牛乳ビンを手に取ると、詳しい説明を交えながら実践してくれた。
「最初のひと振りなんですよ、本当に」
「普通なら、船の部品を振るだけで組み立てるなんて、できませんよね」
「でも最初のひと振りで、そこそこいい具合に組み立てられると」
「それを骨として、うまいこと作ることができるんですよ。こう振って」
「えい」
「これでうまいこと骨ができたら、あとはこの骨を崩さないように」
「かつ残りのパーツが組み立てられていくように」
「えい。えいえいえいえい。えい」
「でも最近は、振りの回数が多くなっちゃって」
「昔は120振りくらいで船ができたんですけど、今は2時間くらい振っていないとだめですね」
「最初のひと振りはいいんですけど、そのあとがもたつく」
「えい」
「そこから、えいえいえい、えいえいえい、えいえいえい、ですよ。まいっちゃいますよ」
「もうずっと、えいえいえい、えいえいえいえいえいえい、えいえいえい」
バターがすっごくおいしそうだ。
生き物との対峙

のせる

ある種のラーメン好きにとって、何が一番幸せな悩みかというと、それは「大盛り」と「全部のせ」、どちらにするかということである。
値段と腹持ちのバランスを考えると「大盛り」だろうが、値段と豪華さを考えると「全部のせ」だ。
すし全部のせ
いきなりで恐縮だが、言いたいことはわかるだろう。
楽したいのである。
さて、ラーメンと同じ方針で、すしの「大盛り」「全部のせ」を考えると、以下のようになる。
すし大盛り
・・・すめし大盛りに刺身ひときれが乗っている
すし全部のせ
・・・がんばってはいるが、正直見た目汚い
どれも、すしではなくなってしまう。
すしは、思いのほかデリケートな食い物なのだろう。
はがき全部のせ
いきなりで恐縮だが、もう食べ物ではなくなってしまった。
楽したいのである。
さて、これもラーメンと同じ方針で考えてみる。
はがき大盛り
・・・どうしても当てたい懸賞がある
はがき全部のせ
・・・字を書くスペースが少ないもしくはない
どれも、どこか病的である。
はがきは、思いのほかデリケートな郵便物なのだろう。

置き土産

「犯人は被害者の背後から近づき、ちょうどこの場所まで引きずってきてから、首を絞めていますね」
「ああ」
「このひもです」
「・・・細いな、やはり」
「ええ。細い、ですが強靭なひもです。犯人は事前に準備していたようです」
「被害者のあたりの様子を見ると、どうも怨恨の絡んだ事件のようですね」
「・・・ああ」
「とにかく闇雲に首を絞めています」
「ただ、外傷はそれ以外にありませんでした」
「あわてたんだろう」
「おそらくは」
「で、他に証拠品になりそうなものは?」
「今のところ見つかっていません。ここに落ちているもの以外には」
「そうか」
「じゃあこれから、この指らの持ち主を探しに行くか」

生活と疑問

質問:
見るたびに気になるんですが、「ウエスト・サイド物語」のミュージカル広告って、かならずカクテルグラスのまねをしている人物が3人くらい載るんです。
あれは一体なんなのですか?。
ミスターskyからの回答:
物語中、巨人達が人間を模したグラスで愛を語り合うシーンがあり、それを表現しています。
広告で使用されることが多いのは、おそらく見た目面白いからでしょう。
質問:
僕の友達は「赤ずきんちゃんは絶対、赤のフェルトに包まれて生まれてきたんだ」と言います。
本当ですか?。
ミスターskyからの回答:
羊膜です。
質問:
最近、草食系とか肉食系とか人に言うけど、あれは一体なんなのですか?。
ミスターskyからの回答:
草食系とは、目の離れている人のことです。
一方肉食系とは、肉ばかり食べ、野菜的なものを野菜生活で補おうとする人のことです。
その他大勢はちゃんと雑食系ですので、安心してがんばってください。

誰の。

本日のディスカッション
「文化祭の出し物、お化け屋敷の反省会」
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中略
?教室の広さでは、お化け屋敷は成立しないっぽい件について?
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「ということで、気になった客についてです」
「あんましキャーキャーいう人、いませんでしたね」
「うーん、そうだね」
「その点、出口でアンケートとっといてあるんで」
「来年も視野に入れてたんだ・・・」
「まあ見てみよう」
「怖くない理由。はっきり言って、全部同じ内容でした」
「どういうこと?」
「甘い香りがして、なんとなく怖くなかった、とあります」
「D組のクレープか」
「確かにいいにおいしてましたね」
「やっぱし、お化け屋敷ではいいにおいがしたらだめなんですね」
「こればかりはなあ」
「線香でも用意すればよかったですかね」
「で、気になった客とかいた?」
「一人いましたね」
「どんな?」
「あの、白い手だけが見えてて、いきなり動くアトラクションあったじゃないですか」
「自信満々だね」
「あそこ。大抵の人は「手だーっ!!」とか「わーっ!!」ってなるじゃないですか」
「動くとわかっていても、ありゃあやっぱし怖いよね。暗いし。」
「ある客だったんですが、大声で「誰のーっ!!」って叫んだんですよ」
「ああ、けっこういいね」
「いいですね。誰の」
「かなりいいね。確認してどうこうならないのに、ね。色んなところで使えるね」
「ほらあそこ。用務員のおじさんが掃除したのに、もう落ち葉が落ちてる」
「用務員のおじさん、たぶん言いますよ。誰の?って」
「言うね」
「もう、落ち葉誰のー、って」
「あ、用務員さんが掃除さぼって休んでる!!」
「・・・せーのっ」
「用務員さん、誰のーっ!?」

ひどくでかい

例えば、かまきりである。
かまきりが人間と同じくらいの大きさだったとしたら、これは怖いだろう。
動きは素早いし、ぎりぎり人間を常食にできそうだし。
アリが人並みにでかくなる映画があったりもしたが、とにかくこの手のものがでかくなると怖いのである。
ところで、これはどうだろう。
「関越地方を覆う羽を持つ、蛾」
でかすぎて、もはや怖くない。
なにかの冗談のような気がする。
富士の火口に頭をつっこむハナムグリ。
ジャンプするごとに砂煙が黄河まで届く、ノミ。
エベレストに腰掛けるチワワ。
月でじゃれるねこ。
太陽系おはじきな幼女。
これらは圧倒的被害をもたらしそうだが、ここまでくれば人間様が思うのは怖いどうこうではなく「もういいっすよ」しかない。
「うははでかすぎるにもほどがあるだろ」
半笑いで、あきらめである。
恐怖というのは、実はかなりの「ほどよさ」がないと成り立たないという、妙な例でした。
何故か結論が出た。

夏の虫

昔はだいぶな決め文句だったんだろうな「飛んで火に入る夏の虫」。
しかし、ことわざ系全般にも言えることだが、その使い方が気に食わない。
「飛んで火に入る夏の虫とはきさまのことだ!!」
こう言う。
少なくとも時代劇ではこう言う。
ここで相手が「なにを!!」となればいい。
だが、相手がうっかりさんだったらどうなるか。
「飛んで火に入る夏の虫とはきさまのことだ!!」
「え、虫?。違うよ。」
そういうことじゃなくてと地団太を踏む悪代官が目に浮かぶ。
ということで、勘違いされないためにも、こういう使い方の方がいいだろう。
「きさま!!。よく見てみると夏の虫みたいな顔しているな!!」
これでは相手は「なにを!!」と言う他ないわけだ。
内心は「どういうこと!?」って思うんだろうけど。
「きさま!!。よく見てみると夏の虫みたいな顔しているな!!」
「なにを!!」
「それで、あれだ。火の中に入ったりするんじゃないのか、え?」
「どういうこと!?」
「自分も燃えちゃうのに、火のなかに入ったりするんじゃないのか?」
「というか、現状もう火の中に入っているようなものなんじゃないのか?」
「え、火?。違うよ。」
地団太を踏む悪代官が目に浮かぶ。

ガム

ガムが得意かというとそうでもなく、どちらかというと苦手だ。
ときどき、えずいてしまう。
ここでえづくと書くと「餌付く」となり、どんだけガム好きなんだってなるけど、とにかく得意ではないのである。
さて、今回重要なのが、どれほどの人が「ガムが得意」なんだという点だ。
ガム、得意ですか?。
「ガム?。けっこうやるクチでね。かれこれ20年」
ガム、なくなってるだろうそれ。
いや、そういうことではなく、そもそもガムに得意も不得意もないというのが一般的。
しかし実際は、炭酸が苦手の人がいるように、ガムを苦手がる人はいる。
気づいてないだけで、結構多いのではないだろうか。
なんとなくだけど。
ちなみに「ガムは苦手。歯の詰め物が取れそうで」というのは、ガムが苦手なのではない。
歯の詰め物が取れるのが苦手な人だ。
注意されたい。

健康法・つづき

昨日からのつづき。
【あらすじ】
健康法というものが以下の2点を満たすだけのものなら、ボディコン健康法とかもあっていいんじゃないだろうか。
・健康法は流行だ
・健康かどうかは判断期間がある
要点は、流行していたものをむりくり健康法としてみちゃう今回ってこと。
=====
ボディコン健康法である。
現在、そんなものはない。
しかし健康法が流行であり、その効用に判断期間が存在するとなると、実は今はまだ判断期間で、今後「実はボディコンってリウマチに良かったんです」みたいなことになるのではないかと考えているのだ。
当時のボディコニアン達は、現在超健康なのかもしれないのだ。
この説(?)のいいところは、現時点でボディコンというものが良かれ悪かれ健康面に影響を与えそうなものであるところ。
なんか締めるところ締めたら血行よくなるんじゃね?の様相である。
逆に冷え性まっしぐらの様相もあるが。
エリマキトカゲ健康法
残念なことに、私達の多くはエリマキトカゲの健康についてそれほど重視することがなく、もっぱら自分の健康について興味があるのであって、エリマキトカゲ健康法も人間が健康にならなくては「意味のない」ものである。
「なんだかあの頃見ていたエリマキトカゲの映像を思い出すと、体がぽかぽかして、食欲も出てきました」
そういった人が現れれば、この健康法が証明されるのだが。
シュリ健康法
ふた昔流行った映画が、実は健康にもいい。
そんなことがあったらいいね。
晴れたらいいね。
ともかく、確かスパイの映画だった気がする。
「スパイと健康」
どうもしっくり来ず、「スパイスと健康」の誤植なんじゃないかという気にさせる。
しかしシュリを見ることで視力が回復していたかも知れない。
それに今後気づくかもしれない、人間達よ。
「最近めがねなくて済むようになったのは、昔見たシュリのおかげでした」
まあ、こういう微妙な時期のが一番グッと来ますな。
ハンカチ王子健康法
何気に実際健康になった人が多そうな感じがし、何よりである。
じゃあ最後に「アラフォー健康法」ということで、またしてもある短編のタイトルが思い浮かばずにはいられない。
みんな元気。

健康法

生きている以上、健康に暮らしたいと思うのは至極当然のことであって、実際人々は様々な試行錯誤を繰り返しつつ、健康を獲得してきた。
紅茶きのこ
僕だってどういったものなのか知らない。
ただ、昔はやった健康法であること、おそらくまずいであろうことくらいを知っている。
ぶら下がり機
ぶら下がるのだろう。
これがどういった効用をもたらし、健康に結びつくのかは知らないが、おそらく開始5秒くらいは気持ちいいだろう、くらいを知っている。
以上2点、かなり昔だがよく知られていると思われるものを挙げた。
しかし、これらは現在、その存在は週刊誌の欄外コーナーにすら取り上げられることはそうない。
それはいわば流行。
健康法は流行であるとも言えるのだ。
ところで話は変わるが、「紅茶きのこ」「ぶら下がり」がそもそも健康を保つために生まれたものかどうかを考えると、実はそうでないだろうことになる。
以下のような流れがあり、その地位を確立したのだろう。
・なんかわからんが、紅茶きのこというものがあった

・使ってみたら、健康でした

・健康モノとして流行
すなわち、健康かどうかが判断されるまで、少なからずお試し期間があったはずなのだ。
以上2点、
・健康法は流行だ
・健康かどうかは判断期間がある
を踏まえると、今後こういったものが生じるとは考えられないだろうか。
ボディコン健康法
考えられないよね。
でもそれだと終わってしまうので、これでまたぎたい心境な今日。