もろ

いつでも恋人が出来てしまうスポーツって、なーんだ?はい「つき合ってる」ということでフェンシングです。
なんとなく思い付いたなぞなぞだが、まあよく出来ているのでどこかで見たのかもしれない。
ところで、適当に挙げた割には考えさせられる点がいくつかあることに気がついた。
まず、「つく」ことが含まれているスポーツについて。
僕はフェンシングくらいしか思い付かなかったが、モロ「つき」というのがある剣道や、組稽古で正拳突き?みたいのをやっていさげな空手など、つき合いたい人必突なスポーツもある。
ただ、剣道のそれはフェンシングに比べて頻度が低く、「私たち、本当につき合ってるの?」と不安になりそうだ。
また、空手で「つき合っている」というのは、なにやらなぞなぞのほのぼのイメージを払拭するくらいの殺戮イメージがある、気がする。
血生臭い。
・・・あれ?。
俺、「モロ」って言葉使うの、久しくね?。
次は、なぞなぞによく見られる「なーんだ」について。
なんだこの、にくらしい言い方は。
とっても「知るか」と言いたくなる。
「今日のぼくの朝食、なーんだ」
この問い掛けに反応してあげる人は、ほぼこの男に弱みを握られていると考えて間違いない。
なんて頭にくる「なーんだ」なんだ。
「前はシルベスター、後ろはスタローン。これなーんだ」
お、これの回答はなかなか考えさせられるな。
「知るか」や無視もありだが、なにか相手の裏をかきたいな、と相手に思わせやすい気がする。
回答として、今の気持ちとしては松島トモ子がいいか。
さっきまでは「あれ、肩に毛玉ついてるよ」だったけど。

パズル

マッチ棒を使ったパズルのことを考えると楽しい。
「ここにマッチ棒を並べて作った正方形がひとつあります。これにマッチ棒を2本追加して、正方形をふたつにしてください」
こういったやつだ。
こうなると、当然「このマッチ棒の正方形に、マッチ棒を2本追加して、東京タワーにしてください」みたいなことが予想できる。
もちろんできるかい、という雰囲気になるが、これに手を加えて「このマッチ棒の正方形に、マッチ棒を50本追加して、東京タワーにしてください」となると、ぎりぎりいけるんじゃないかということになる。
「このマッチ棒の正方形に、マッチ棒を2000本追加して、ピサの斜塔にしてください」とかなると、出題者はどれほど精巧なピサの斜塔モデルを要求しているんだ、となるし、元々の正方形はいったい何だったのか、ということにもなる。
さらに「このマッチ棒の正方形に、マッチ棒を50万本追加して、モアイにしてください」となると、出題者は本気でモノを拝みたいと思っていると考えられそうである。
ということは「このマッチ棒の正方形に、マッチ棒を5億本追加して、グランドキャニオンにしてください」となると、その解答は「マッチが足りません」となるだろう。
逆に、「このマッチ棒の正方形に火をともして、暖をとってください」となると、そういうことを出題者に指図される覚えはないと憤る人もいるだろうし、そうですかそうですねという人もいるだろう。
逆に、ということでもないが。
「このマッチ棒の正方形に、生ジョッキ人数分を追加して、場を盛り上げてください」となると、もうこのマッチ棒のことなど誰も気にしなくなるだろう。
ということで、なかなか楽しいマッチ棒パズル。
僕は「このマッチ棒の正方形を、お気に入りに追加」していることになるわけだ。

花びら

僕の住むところでは桜のシーズンも終わって、川辺はいくらかの平静を取り戻したよう。
それにしても桜。
中学生くらいまでは花見なんてするよりもゲームしたいという考えだったけど、今は開花の具合を確認しに、夜さんぽするまでになりました。
これを老化と言うか。
ともかく桜。
大抵の人は桜の、淡く色づいたような景色がわっと視野に入ったりするだけでテンション上がるでしょ。
花びら散る中を歩きたいでしょ。
桜にたまらんものを見出しているわけです。
「花びらが、風のかたちを教えてくれるんだ」
これ、だいたい20%の人が言ってるね。
内容、少々恥ずかしいね。
でも、そこは桜でテンション上がっちゃったから。
しょうがない。
「見て。蝶が花びらと戯れている」
これ、だいたい5%の人が言ってるね。
内容、恥ずかしいね。
ところで、群生した桜もいいけど、遠くの山を望むと見える、一部分桜もなかなかですね。
山の中を歩くと、ある場所だけ花びらがしきつめられていて、それで桜だって分かったりするんですよね。
「花びらのじゅうたんみたい」
これ、100%の人が言ってるね。
内容、恥ずかしいね。
でも、そこは桜でテンション上がっちゃったから。
しょうがない。
と言うわけで、統計的に見ると桜のシーズンは恥ずかしいことを言えてしまうけど、それはしょうがないということが分かりました。
むしろ、言えるときに言っておけという感じもします。
言う相手がいないものにとっては、桜ばかり気にかけることになるのですけどね。
いつもなのですが、花粉症の薬で今、やられていますので、これで終わり。今回の口調、気持ち悪いですね。

ダルシムの村

ストリートファイターという格ゲーについて。
ダルシムの村。
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基本知識
ダルシム
ヨガの人。
手足が伸びて、相手をはたく。
火も吹く。
テレポートもできる。
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ダルシムは、首から人の頭蓋骨のネックレスをしていたり、ブライト艦長の分も入ってしまったくらいの白目っぷりですが、その異様な姿とは異なり、いい人です。
なぜいい人かというと、彼は確か「村を救うためのお金を手に入れる」ために、格ゲーに身を投じているからです。
と、これは最初の頃の話ですが、たぶん最近も格ゲーに登場するということは、何かしら人のためだったり村のためだったりするのでしょう。
ということで、ダルシムの村はなんだかいつも不幸なイメージ。
いつましになるのでしょうか。
というか、ダルシムのやり方に問題があるのではないでしょうか。
「ダルシム。助けてくれるのはありがたいが、もっとやり方があるんじゃないだろうか」
村民が言います。
「私には、手足を伸ばして相手をはたくことしかできないのです」
ダルシムはたぶん、こんなこと言いません。
「ダルシム。いつになったらこの村の不幸は取り払われるんだろうか」
村民が言います。
「私には分かりません。なぜこの村だけやたらうまくいかないのか・・・」
ダルシムはたぶん、こんなこと言いません。
「ダルシム。なぜ君は手足が伸びたり、テレポートができたりするんだい?」
村民が言います。
「ヨガのおかげ、と言っていますが、本当のところは分かりません。いつの間にかできるようになっていたのです」
ダルシムはたぶん、こんなこと言いません。
「ダルシム。その手は遠くのしょうゆ入れを取るときに、便利そうだね」
村民が言います。
「私には分かりません。しょうゆ入れというものがどういうものか」
ダルシムはたぶん、こんなこと言いません。
「ダルシム。その手は遠くのカハシャ(※)を取るときに、便利そうだね」
村民が言います。
「遠くのカハシャに手は届くのですが、このときの手は相手をはたく用なので、カハシャを壊してしまうのです」
ダルシムはたぶん、こんなこと言いません。
おそらく、彼はこんなことを言われたとき、テレポートで村民の背後に回るのでしょう。
※カハシャ
インドの家庭で普通に見られる、調合済みスパイスを入れておく小瓶のことで、うそ。

イロモノ担当

先に言っておきます。
今日と明日、ストリートファイターという格ゲーについて。
今回はエドモンド本田の必殺技。
明日はダルシムの村。
=====
基本知識
エドモンド本田(以下本田)
相撲の人。
姿かたちはだいたい関取だけど、色々とハデ。
張り手や頭突きで戦う。
=====
本田の必殺技と言えば、頭突き。
それも、ミサイルの如く相手に飛んでいく頭突き。
それは、彼が初めて登場したときから彼が習得していた技。
この技を出すと、突然彼の身体は地面と水平になり、頭を相手に向けて景気よく突進していく。
手は前に出すこともなく、身体にぴたりとつけられ、それこそ頭から突っ込んでいく感じ。
結構早い。
僕は最近のストリートファイターに出ている彼の頭突きを見るたびに、開発者のあきらめにも似た怒りを感じずにはいられません。
彼らは本田を登場させ、キャラクターを作成するときにいつも思うでしょう。
「頭突き、相撲の技じゃねーんじゃね?」
心情的に、関取の必殺技が相撲の技っぽくないのは、いやなはず。
彼らは一番最初に本田のプロファイルを作成した人物を怒りたい気持ちでいっぱいでしょう。
「お前が「頭突きが得意」とか書かなければ、本田の必殺技は「突進張り手」とかの相撲技っぽいもので、事なきを得たのに。」
「明らかに本田をイロモノ扱いにしている。ウケがいいように、な!!」
でも、本田誕生時に、既に彼がそれを習得しており、しかも主力となる技であったため、もう方向転換できないのです。
愛を持って本田を作成する開発者たちは、おそらくイロモノ担当としてイロモノな必殺技を与えられた本田に対して、こう思っているでしょう。
「頭突きは、もういいんだよ。」
ところが、そんな彼らの心情を逆なでするような事柄が。
最近のゲームには「超必殺技」という、なんだかある意味遺体を粗末に扱うんじゃないかと思わせるような印象の技があるのです。
本田の超必殺技。
鬼無双。
この技を繰り出すとき。
本当は張り手を繰り出したいであろうに。
相手に向かって頭突いていく本多に、開発者はこう思います。
「頭突きは、もういいんだよ。」
「頭突きは、もういいんだよ。」
・・・悲しいことに、鬼無双は頭突きを2回出す技なのです。
追記
本田には他に、頭突いたあとに張り手を出す技もあり、ある程度の相撲技フォローがなされていますが、頭突きを外すことはできないのか・・・。

無意味試合2

昨日からの続き。
【あらすじ】
「引き分けはさんで3連敗」と言うことのできる以上、「引き分け」 は「何もありませんでした」とされてしまう可能性がある。
ということで、実際「何もありませんでした」となってしまいそうな野球の試合を考える。
=====
『来ないので、急遽片方チームの監督がアンパイヤを勤めた。』
両チームの監督ともに、なかったことにしたい試合となるだろう。
『ずいぶん打ち込まれた投手。しかしその不調の原因が、病気がちな母親のことを想ってのことであることが試合終了後に判明』
全国的な「何もありませんでした」、「何もありませんでしたよね」運動に発展する可能性あり。
『外野の空いているところでバーベキューが行われていた』
選手が注意してもどかない。
選手も強気に出ない。
『試合翌日に地球規模の天災発生』
正確にいうと「どうであっても誰も気に留めない」ということになる。
『消化試合』
やや辛口。
『大規模な災害があった国の首相が出場していたことが、大々的に報道された』
もちろん、「何もありませんでした」としたいのは首相以下パネラーの皆さんだろう。
『停電のため、黒板にチョークで得点を記入していたが、雨が降ってきてしまった』
停電なのに試合を続行した上層部に怒り心頭だった審判が雨にうたれながら、ついに。
「あーもう!!。やめやめ!!」
『大量のムクドリが球場に乱入。打つたびにボールとムクドリが落ちてくるありさま』
なんだかそれが二塁打扱いとなり、試合はおおわらわ。
『審判だと思っていたが、のちに行司だったことが判明』
行司も、なかなか切り出せなかっただろうに。
『選手だと思っていたが、のちに自動販売機であったことが判明』
誰だ、こんなところに自販機を設置したヤツは。
『野球だと思っていたが、のちにテニスだったことが判明』
「道理で!。やけに高得点だったのが気になったんだ!」
本試合であやうく猛打賞を獲得しそうになった選手の談。
『かくしだまだと思われていたが、のちに盗難であることが判明』
まだ出てきていないので、心当たりのある人はあとでスタッフルームまで来るように。
=====
いやー。
「のちに判明」系は、たくさんでいいやね。
君も、自分だけの「何もありませんことが、のちに判明」を探してみるといい。
よく眠れるかもしれないよ。
ということで、試合終了。

無意味試合

先日スポーツニュースを見ていると、野球の話題にてこんなことをキャスターが言っていた。
「タイガース、引き分けをはさんで3連敗」みたいなことだ。
野球の世界では、引き分けは「何もありませんでした」ということのようだ。
僕だって、野球というものが年に100回以上試合をして、その収支で一番を決めるスポーツであることは知っている。
その100回のうちのひと試合が消化されている以上、引き分けが「何もありませんでした」ということはないのである。
したがって、キャスターの言い方がポイントである。
3連敗という、連続しているものに引き分けをはさんでも、何ら影響がない。
これでは、引き分けは「何もありませんでした」っぽいが、考えてみよう。
キャスターとしては「引き分けがあろうが、とにかく3回負けているほうが問題だよね」を伝えたいのである。
引き分けが間にあっても、3回負けていて、その間は勝ってない。
勝ってないのは、よくないよね。
これを端的に表そうとした結果、「はさんで3連敗」という感じになったのだろう。
それにしても選手達の心境は複雑だろう。
確かによく負けているが、試合を「何もありませんでした」と解釈できてしまうように報道されるのである。
「俺達は、ちゃんと試合をやったぞ!」
思っているだろう。
また、「引き分けをはさんで」という表現についても文句があるかもしれない。
「俺達の試合をしっとりバニラクリームみたいにいうな!」
言いたいだろう。
そして全国クッキービスケット連盟が、
「しっとりバニラクリームを何もないとは、どういった了見だ!」
やりかえしたいだろう。
落ち着け、両方。
本題
これなら「何もありませんでした」てなってもしょうがないよね、な試合。
次回。

シャアが来る

開始早々、報告したいことがある。
シャアは来ないのである。
シャアが来るとタイトルにしたものの、来ていない。
来る予定もない。
待ったとしても、来る根拠は全くない。
めんぼくない。
さらに、呼んでもいないし、呼んだら来るかどうかも分からない。
そもそも連絡先が分からない。
いない。
すまない。
残念ながら、僕のところにシャアが来ることはない。
ふとっちょのシャアが来ることもなければ、charも来ない。
もしかしたら「あっ、シャアかも!!」というようなシーンが今後来るかもしれないが、おそらくそれは朝刊などであり、シャアではない。
本当に申し訳ない。
しかし、言い訳になるかもしれないが、僕にも言い分がある。
僕としては、シャアが来ると困るのである。
何故かというと、軍人であるらしいシャアがこちらに来るということは、どうやら殺傷目的と考えて間違いないからであり、そういった人に来られると、大変なのである。
かといって非常に友好的に接近してきても、そのデカメロンな風貌に、困る。
こういった点を考慮すると、シャアが来ないことに越したことはないのである。
また「シャアが来る」という歌があるため、そもそもシャアが来ないことをわざわざ吐露することもなかったのである。
その点を踏まえ、正直な僕を許していただきたい。

ボランティア

先日ふらりと歩いていると、見知らぬ男に声をかけられた。
またアンケートか何かか・・・。
申し訳ないが無視を決め込み、通り過ぎていく僕の耳に聞こえたのは、彼の「ボランティアの紹介をさせていただいており・・・」というものだった。
そこは無事に無視しとおせたけど、気になってしょうがなかった。
「勧誘で、ボランティアの募集とかならわかるけど、ボランティアの紹介・・・?」
確かに、社会的にもボランティアを行うということは色々いいことであるため、その紹介が行われることはありそうである。
しかし、街中で勧誘的に紹介するようなものではないと思うぞ、ボランティア。
「いいボランティアあるんですけど・・・。」
「えっ、ちょうど探していたんですよ、ボランティア。」
こう、なのか昨今。
ボランティアをしたい人は、自分で探してそこに行くもの、と思っていたが・・・。
献血みたいなものなのだろうか・・・。
ちなみに、上記の話は「ボランティアを欲している組織を紹介してくれる」という推測のものであるが、今回話しかけてきた男の言い方を考えると、こうも取れる。
「あ、この人ボランティアが必要だ・・・」と男は思った。
上記のが「ボランティアという役割」を紹介するという意味なのに対し、これは「ボランティア」を紹介するという意味。
ボランティアが必要、と相手が思ったのであるなら、僕はいかほどボランティアを欲している顔をしていたのか。
とりあえず、僕は石油にまみれてはいなかったのである。
ということで気になったボランティア話。
僕の知らないボランティアの種類があるのだろうか。

友好的買収

ずいぶんと山奥で心配だった。
人家はあまりなく、歩道も整備されているとは言いがたい。
すぐそばを、猿の親子が歩いていく。
でも会場に近づくにつれ、にぎやかな祭囃子が聞こえ、人の数も劇的に増していった。
その桜祭りは大盛況だったのだ。
なんだか懐かしい気持ちになりながら出店を見回っていくと一角、すっぽりと人だかりのない箇所に気付いた。
近寄ってみると、ハチマキにハッピを着用したオヤジが、ちょこんと座っている。
そして、手にヒモを持っている。
そのヒモが奇妙なのだが、ヒモの先にはハッピが。
オヤジの着用しているハッピと同じものなのだが、ずいぶんと小さい。
そんなものが付いているのだ。
私はたまらず「オヤジさん。何やっているのですか?」と聴いてしまった。
するとオヤジは「やっぱり、分かりませんかね。」と言う。
私が返答に困っていると、それを察したのか教えてくれた。
「今、エア猿回しやっているんですけどね。」
そう言われて周りをみると、確かに小さなタイコや竹馬など、まあ猿回しの芸として重要なツールがいくつか置いてある。
「エア猿回しですか。」
「ええ、でも、ちょっとわからないですよね。」
「まあ。その、なんですか。ちょっとオヤジさんは先見の明すぎでしょ。」
「そうですかねえ。」
「でも、なんですか。別にエアじゃなくてもいいんじゃないですかね。」
「猿回しとしては訓練とかも必要でしょうけど、さっきなんか、そこらでも猿を見かけましたよ。」
「ああ、それですか。いやだなお客さん。それもエア猿回しですよ。」
そう言うとオヤジは、私の背後の風景を見るような目をした。