親指

パンダの親指の話を知っているか。
詳細なことは全然分からんが、パンダには、物を掴むとか、ちょうど人間の親指のような使い方をしている指があるが、実はそれは親指ではないんだ。
親指はちゃんとあるが、それはパンダの手の構造上、物を掴むことが難しい。
そこでパンダは親指に相当するものを進化の過程で生み出した、ということらしいんだ。
いや、どこまで本当か、進化を考える上でどれほど重要なのか。
それはわからないよ。
でも、僕が気になるのは「掴むことを我慢しようとしたヤツはいなかったのか」ということなんだ。
いたはずなんだよ。
葉をしごき取るために笹をなでていたヤツと、葉を取るのを我慢したヤツ。
でも、現在は一方だけ。
さっき言ったとおりだ。
え、何が言いたいかって。
考えてみろよ。パンダの親指について、我慢したヤツはいたに違いないけど、そいつは今はいない。
それが何故かは、重要じゃない。
重要なのは「我慢の跡は見かけ上、無くなる」ということだ。
葉を取るのを我慢したヤツはいたのに。
その痕跡も、そいつについても、今ではもう何も無い。
我慢というのは、最終的には何もありませんでした、ということになってしまうんだ。
な、我慢ってのは、そういうもんだ。
「ということで若菜、我慢なんてものはな」
「なぐさめてるつもり!?」
箸入れが、私の頬をかすめて飛んでいく。
妻にはちゃんとした親指があるようだ。

嫉妬

本日のディスカッション
「ニュースキャスターを困らせたい」
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中略
?どの女子アナが好きか?
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「ということで、麗しき女子アナの隣に鎮座するニュースキャスターに軽い嫉妬を覚えた私たちは、なんとかして彼を困らせるという考えにたどり着きましたが、その方法が未解決です」
「少しダンジョン処置ですね」
「男尊女卑」
「もちろん、放送局には私たちはいないわけですから、その点を考えないとなりません」
「でも、どうせなら報道中に困らせたいですね」
「報道するニュースが説明しにくいものであれば、困るんじゃないでしょうか」
「え、事件起こすって方針。まあ、本当はだめだけど、実践するわけじゃないから、法に触れる内容も仕方がないか」
「はい」
「どうぞ」
「まずですね。事件を起こします。そして、現場に自分のDNA情報をインプットしたメディアを置いておくのです」
「・・・それで」
「報道しづらそうじゃありませんか。DNA情報のおかげで犯人は逮捕できるわけですが、「DNA鑑定の結果」というわけでもありませんから。」
「意図が分からない事件として、盛り上がりそうですね」
「というか、実際に報道される前段階の仕事の人を、むしろ困らせるだろ、それ」
「・・・ところで、メディアは何にするつもりなのかな」
「A3です」
「まさかの紙だよ」
「君のDNA情報は、それで足りるの」
「もちろん要所要所だけを書きます」
「まさかの手書きだよ」
「でも、それでも紙面は限られているだろうし。ん、DNA情報だけでは犯人逮捕にはいたらないんじゃない」
「・・・僕には、警察はたどり着けます」
「きみはなかなか、興味深い人生を送ってきているようだな」
「他には」
「もう、横に読んだら「うんこ」と読めるような原稿をかかざるを得ない事件をどうにかして起こす、とかしかないんじゃないでしょうか」
「難しいな、それ。」
「からあげ、とか読めたら、ちょっと読んじゃいますね、そこ」
「かきつばた、とかも」
「うーん。仕方がない。案もないし、ニュースキャスターを困らせると、そのニュースを見ている多くの人も困らせるだろうから、止めておくか」
「そうですね。全然悪くないですし」
「白井、バールはもう置いておけ」
「・・・」
「全然悪くないですし」
「全然悪くないよな、白井」
「わかりました」

音楽性の違い

「だから、俺はバンドを抜けるって言ってるんだよ」
「急にそんなこと言われても、ハイそうですかってなるかよ」
「…おまえ、「うらがえしポンチョ」から誘われてるだろ?」
「えっ、あの有名なコーラスグループに?」
「、…おまえらには関係ないだろ」
「関係ないことないだろ。ずっとうまいことやってきたじゃないか」
「その点は、今回の話とは関係ない」
「くそっ。お前も何か言えよ」
「…そうだね」
「あ?」
「いや、そうだね」
「僕らには関係ないよ」
「関係ないよって…」
「その点は僕らと関係ない」
「どの点が関係ないっていうんだ!」
「5行目のやつだね」

人生ゲーム

ゲーム的に話すと、私たちはすでに残機ゼロなため、慎重に生きていかなくてはならない。
残念なことに、いくらwiiスポーツのボーリングでいいスコアを叩き出したとしても、それは変わらない。
むしろ、いいスコアを出そうとしてゲームをたくさんやると、腕を痛め、その点で「慎重さ」からは逸脱してしまっているのだ。
残念なことに、いくらファイナルファンタジーの登場人物が美しい女性だったとしても、自分はそこまでじゃない。
むしろ、その差異に気付いて心を痛め、その点で「慎重さ」からは逸脱してしまっているのだ。
残念なことに、いくらバイオハザードがうまくても、実際そんなことになったら、そりゃあもう、しどろもどろ。
むしろ、敵に体を痛め付けられ、その点で「慎重さ」からは逸脱してしまっているのだ。
ということで、ここまでゲームと関係しているところを見ると、一概に「人生はゲームじゃない」とは言えなさそうである。
「人生はゲームじゃないじゃない」となる。

片面宿儺

扉の閉まる直前に電車から降りる人を見たら、二通りの人物像を考えてしまうのは仕方のないことである。
おねぼうさんか、追われているか、だ。
これは、一見よくある「自分が前に歩いているのか、地面が後ろに動いているのか」的な話に聞こえなくもないが、違うところがある。
社会的に深そうな意味を持つかどうか、という点だ。
後者は、客観性や観点の変更といった意図が、見えなくもない。
一方前者は、せいぜいどんな理由で追われているかを考察する余地が少しあるくらいである。
せちがらい世の中。
やはり追われている理由を考えているほうが楽しい。
高いヒールの女性がいたら、それは背が高いように見られたいか、つま先付近に憎いやつがいるかだろうし、寒い日に白い手袋をしている人を見たら、それは寒さに弱い人か、これから犯罪を犯そうとしている人だろう。
台所で包丁を持っている人を見たら、それは料理に関係した人であるか、これから犯罪を犯そうとしている人だろうし、笑ってる人なんかは、楽しいことがあったか、これから犯罪を犯すんだろう。
いやあ。
今まで片方の人物像の人だけと、僕は会ってきたようだ。
すごくよかったよ。

沿線

例えば、Aという駅とBという駅があって。
それが何を生み出しているかと言ったら、ちょうどその駅の中間に位置する家の人(斉藤さん)の「うち、駅から一番遠いやん」という、ネガティブな感情。
いわば不幸である。
斉藤さんはそのストレスのせいで、デパートで余計なものを買ってしまった。
じゃあ、A駅とB駅との間にC駅ができたらどうなるかというと、先ほどの斉藤さんはうれしくなるだろうが、一方A駅とC駅の中間に位置する人(鈴木さん)と、C駅とB駅の中間に位置する家の人(室井さん)が不幸になる。
鈴木さんはその不幸を、駅までウォーキングするという考え方で克服しようとしたが、やはり不幸。
歩きすぎて疲れてしまった。
室井さんは悲しみのあまり、毎朝の朝食をジャンクフードで済ますようになってしまった。
このように、何かが新しく誕生するとき、不幸が余計に増えてしまうことは、往々にしてあるのだ。
そんな流れになりそうなとき、その回避策は、もちろんA駅⇔B駅の沿線付近には住まないことだ。

精神

これまで、数日に渡って「精神年齢」についてわーわー言ってきた。
最後は「精神○○」とか考えて、のんびりの魂胆である。
◆精神料理
あなたは何歳ですか?
20歳・・・精神料理 「たんしお」
40歳・・・精神料理 「肉そぼろ」
60歳・・・精神料理 「鯖の味噌煮」
◆精神乗物
あなたの趣味はなんですか?
スノボ・・・精神乗物 「おしゃれなスクーター」
ゴルフ・・・精神乗物 「少しポマードな乗用車」
人生の軸合わせ・・・精神乗物 「靴」
◆精神記号
あなたの長所は?
人見知りしないこと・・・精神記号 「☆」
誠実・・・精神記号 「♯」
謝るのが得意・・・精神記号 「m(_ _)m」
◆精神動物
あなたの好きな言葉は?
飛躍・・・精神動物 「ショウリョウバッタ」
忍耐・・・精神動物 「イナゴ」
依存・・・精神バッタ 「オンブバッタ」

精神年齢3

先日まで精神年齢について記していたが、そのあいだに気付いたことがある。
「精神年齢は実年齢と大きく違わなくてはならない」だ。
考えてみよう。
コンパ。
25歳のあなたに対して、同性の友達が「お前、精神年齢30歳だよー」と言った。
このとき、あなたはどうすればいいだろう。
安全なのは、「それじゃ、実年齢とほとんど変わんねーじゃん」とおどけた態度をとることだろうか。
というか、思いつくのがそれしかない。
あとは全然違う話(最近、突然ほくろができた、など)をするしかない。
僕は思う。
この同性の友達は、完全にあなたをその場から滅殺しようとしている。
どうしようもないことに、巻き込んでしまおうとしている。
恐ろしく敵対心を持っているような気がする。
一方、友達が「お前、精神年齢が80越えてるよ」と言ってくれたなら、その人は良い友達だ。
素晴らしく美しい放物線を描くトスを上げてくれている。
あなたはただ、80超え話(物忘れ系からの派生がデフォ)を異性に披露するだけでよいのだ。
以上の例でポイントなのが、精神年齢と実年齢の差である。
その差が少なければ、年齢相応の精神、ということで、精神年齢の考え自体が虚ろになる。
一方、その差があればあるほど、実年齢に対しての精神年齢というものが必要になってくるだろう。
ということで以上、「精神年齢は実年齢と大きく違わなくてはならない」でした。